世界各国にある創造神話の中でエスキモーの人たちに伝わる神話を紹介されています。
さやの中に4日眠って5日目にさやの下が破れ、地上に落ちた生き物、これが立ち上がると成人男性に。
そこへ大ガラスの姿をした神がやってきてその男をじろじろ見ながら言う。
「何だお前?」
「あのつるの豆のさやから出てきたんです」
「俺が創ったつるから?お前みたいなのが出てくるはずじゃなかったのに」
そして、その大ガラスは他の植物や動物、そしてその男が寂しいだろうからと女性を泥から創っていく。
人間という生き物を紙が完璧にデザインしたものではなく、意図に反してというか偶然できてしまった
かのようなストーリーらしいです。
生物現象についての「なぜ」に明快な答えを探している人間だが、「偶然」「たまたま」ということもありうるのかもしれないという指摘に同感します。
偶然から始まり、偶然とバイアスが組み合わさって積み上げられてきた歴史が生命の1つの側面かもしれないというのも同感します。
DNAの4つの塩基はどうして4つなのか?など分からないことに説明を求めるのは
人間の脳が合目的な説明を心地よいと感じるからわからない現象に対する明快な説明を求め安心しているのかもしれないという指摘は個人的にあいうるのかなぁと思います。
その脳が科学を発展させているのかもしれないそうです。
現代人(ホモ・サピエンス)の腸は身体の大きさに比較すると類人猿に比べて小さいのは
小さな消火器でもいい消化のよい食物、火を通した植物や肉などを食べるようなったからではないかと推測されるらしいです。
哺乳類の多くは乳児期には乳糖を分解することができるが、大人になるとこの機能が失われるらしいです。
大人になってもこの機能を持ち続ける乳糖耐性の遺伝子の人がおり優性遺伝し、ヨーロッパやアフリカ、中東などの牧畜民に特に多いらしいです。
現代でも存在する女児への割礼は女性差別への問題視として議論せずに
性器切除が女児の健康と幸せのためにならないとうことを十分に伝えることが必要という意見に同意します。
が、あまりにも習慣や常識が違うため一方的に避難せずに伝えることはとても根気がいると思います。