工作舎が、この著作を出版したのは、確か70年代末のことだったと思う。
当時、その工作舎が発行していた「遊」という雑誌があって、10代後半の私は、思想や科学、文学、芸術、ありとあらゆる領域を「横超」する、その前衛的な誌面に眩暈のようなものを感じながら、むさぼるように読んでいた記憶がある。
さて、ライアル・ワトソンと言えば、「スーパーネイチュア」やら「風の風物誌」など、ベストセラー、ロングセラーになった著作も多いが、主著は何かと問われれば、私は迷わず、この「生命潮流」を挙げる。
キーコンセプトは「コンティンジェント・システム」である。
これは、「ユング心理学」で語られる「共時性」を生命現象、あるいは生命進化に援用したもののようにもとれる。
ワトソンは、生命と意識という、広大で複雑な生命の潮流が宇宙と直結しており、全生命は遺伝子、DNAという「情報装置」を獲得したことによって、その宇宙の「生命の潮流」の中に身を置き、さらには、共生という生存戦術をもつことによって進化を遂げてきたことを、生命科学やその周辺分野あるいは情報理論の文脈から解明しようとしている。
個々の生命あるいは種は、独立していながら相互に依存/共生しながら進化してきた。
しかし、生態系という大きな体系の一部でありながらも、独自の個別的な領分も保持している。
確実に存在しているにもかかわらず、曖昧で不確かなシステムである。
つまり、遺伝子やDNA、ゲノムなどにも還元できない、言ってみれば生態系、あるいは自然現象の複雑な相互作用の枠組み。
これを、「コンティンジェント・システム(Contingent System)」と名付けた。
この考え方は、ルパート・シェルドレイクが提唱した「形態形成場(Morphologenetic Fields)」理論(「形成的因果作用(Formative Causation)」 仮説)に通ずる。
この仮説によれば、「形態形成場」は複雑さのあらゆる階層でシステムの組織化を促し、我々が、部分の総和以上のものである自然界で観測するものすべての基礎を形成している――という。
つまり、あらゆる「自己組織化 するシステム」――原子、分子、結晶、生物の細胞・組織・器官、さらには、社会や生態系から宇宙現象にいたるまで、生命現象に限らず、巨視的、微視的な物理、化学現象をも含む―― の「形態」の発生と維持には、「形態形成場」 という不可視の 「場」 の働きが関与しているというのである。
この働きを、「形成的因果作用」あるいは「形態共鳴」と呼んだ。
「形態形成場」には、各々の「システム」に固有の「構造」があり、それぞれ過去に存在した同様のシステムからの影響 =「形態共鳴(Morphic resonance)」の過程によって蓄積された固有の記憶を持っている。
そして、事物には、各々の「システム」ごとに「集合記憶」がある。
たとえば、雪が結晶する過程は、同種の過去の結晶化の、ウサギには過去のウサギの、スミレは過去のスミレの影響を受ける。
すなわち、それぞれの「集合記憶」の影響=作用(「形成的因果作用」あるいは「形態共鳴」)を受けることになる。
これは「ユング心理学」の「集合的無意識」、あるいは、「神秘主義」で語られる「アカシック・レコード」の概念と似ている。
そして、その作用のしかたは、同様に「共時性」の概念と通ずる。
かなり、脱線してしまったようだが、ワトソンの「コンティンジェント・システム」仮説は、シェルドレイクの仮説と比べると、かなり大雑把には思える。
また、「生命潮流」で取り上げた、かの有名な「百匹目の猿」現象にいたっては、すべて彼自身がデッチあげたまったくの創作だったとして非難されたりもした。
しかしながら、ワトソンは、生命現象の背後に確かに働いている、未知の秩序だった働きを透視し、既存の学問体系を批判しつつ、さまざまな分野で「遊撃」「横超」的に活躍をしつづけた「『知』の巨人」であった。
そして、何よりも稀代のロマンチストだったと思う。
半分ホラ吹いてでも良いから、まだまだ生きながらえて、このくだらない硬直した現実世界に夢を吹き込みつづけて欲しかった。
合掌。