「いのち」を巡る問いに正解は存在しない。一人一人が自分の経験を通して、一生考え続け、その瞬間瞬間に自分だけの答えを示してゆくことしかできない。それは決して楽な作業ではない。著者は言う。人はハッピーなときは、あまり学ばない。人は大事なことをずたずたになりながら学ぶんだ、と。今、私はまさに、生や死の問題に思い悩み、自分の存在の意味を模索し続けている状態だ。本書を読み、私は、苦しみに満ちた今の日々を「いのち」の思索に捧げようと決意した。著者の提唱する「生命学」は、私の人生そのものかもしれないとさえ感じた。
「いのち」の思想は他人事ではない。常にそれは自分自身の問題として現れる。更に言えば、他人の「いのち」は語ることができないし、語ってはならない。わからないことはわからないとはっきり言うしかない。そして、そこで開き直ってしまうのではなく、必死になって踏ん張らなければならない。脳死、引きこもり、人工妊娠中絶、フェミニズム、…正直、私はこれらの問題に関して、何が本当に正しいのかよくわからない。だが、そうして「わからない、でも何かがおかしい」とはっきり直観するところから「生命学」はスタートする。それらの問題をどれだけ自分のもとに引き寄せ、自分の言葉で語ることができるか、それが何より重要なのだ。
本書は、著者の講演をまとめたものである。著者の代表作『生命学に何ができるか』『無痛文明論』のエッセンスを取り込みながら、それらの著作においては触れられなかったことにも言及されていて大変興味深い。また、「生命学とは何か?」という素朴な疑問に対しても、著者による現時点での回答がわかりやすく提示されている。
本書を読んで私は救われた。と同時にどう生きてゆけばいいのか、ますますわからなくなった。この2つの感情は互いに矛盾している。しかし、そのどちらも私にとっては紛れもない真実なのである。