…現代日本はまさに世界でも珍しく「徳」というものがない国になってしまったのではないか、と思わざるを得ないのである。ケーベル博士やハーンたちがあのように賞賛した古い日本の美徳、それを体現した人たちが、いま一人でもいるだろうか…本書第19話「徳」
著者の中野孝次さんは、私の大好きな文学者だったが、惜しくも2004年7月他界された。この新書に収められた20篇は、中野さんが「かつて読んだ本の中で、「これはいい話だな」と心に残った話」(まえがき)を紹介したもので、従って、それぞれに中野さんが執筆するにあたって参照した文献がある。それらは巻末に〈主要参考文献〉として掲示されており、中野さんも全20篇の話の「どれかに関心を持たれた方が、原本を読んでくだされば、もってわたしの願いはかないます」と述べている。
本著の刊行は1998年で、「日本列島総不況」といわれた時期だが、同時に、官界や財界の不祥事も露呈していた。1980年代中葉から始まったバブル景気は、90年頃崩壊していたけれど、このバブル経済などによって、日本人の“美質”は歴史の片隅に吹き飛ばされたような気がする。その“美質”を、再び私たちの前にたぐり寄せようとしていたのが中野さんであろう。当著にある「高潔」や「矜恃」、「誠実」や「清廉」などの話は、いずれも“美風”あるいは“美徳”に関わるものばかりだ。
中野さんは、もう“過去の人”かもしれない。しかし、中野さんの遺した著作には、当書も含め、「美徳なき時代」を生きる私たちの澪標となるものが少なくない。心の琴線に触れる中野さんの本は、これからも読み継がれていって欲しいと思うし、是非ともそう願いたい。