経済的自由競争が「結果の不平等」(所得と富の分配の格差・不平等・貧困)をもたらすことは経済学の定理だ。それは著者も承知している。「正当な競争の結果であれば、それ[格差]をとやかくいう必要はない」(p.204)と延べている。しかし、貧困は社会的問題なので、自由主義国・資本主義国の政府は、高所得者から税金を取り立ててその資金を低所得者(貧困者)の年金・医療・生活保護など福祉のために支出すること(再分配政策)によって、当初所得分配の不平等を軽減する(貧困をなくす)ようにしている。これが「福祉国家」だ。つまり、貧困を根絶する途は、二つある。一つは、「福祉国家としてお手本となるスウェーデン」(p.128)に追いつくように福祉国家政策(再分配政策)を推進することだ。他の一つは、経済システムを自由主義経済・資本主義経済から計画経済・共産主義経済に切り替えて、「結果としての所得分配の不平等(貧困)」の発生源をなくすことだ。
著者が今後の日本社会の理想的なあり方として主張している「お互いさまの社会」は、これらの一体どっちを目指しているのか甚だ不明瞭だ。第一に、著者は「『格差は否定しないが、貧困は問題である』という論調」を取り上げて、「ここでの主張は、自由競争は肯定するが、貧困の悪だけを退治する、といったことに通じるのではないでしょうか」(p.205)と延べて、貧困の悪を退治するためには自由競争を廃止しなければならないと暗示しているように見える。また、著者が「特定の親子関係を超えて、子どもという存在を社会で共有することが必要になります」(p.58)と延べていることや、「個人の保有財産をその者が死亡した時点で一定程度(全額とはいわないが最低半分)を税として徴収するシステム」(p.195)を「提案」するとして、実は相続税100%を提案したい雰囲気が感じられることからは、著者の理想的社会は共産主義社会なのではないかと勘ぐりたくなる。そうではなく「福祉国家」の推進を理想としているのならば、なぜ著者は「お手本となるスウェーデン」をもっと紹介し、強調しないのか、不可解だ。グラフが沢山目に付く中で著者の増税路線にとって有利な「広義の税負担率」の国際比較のグラフが欠けているのも腑に落ちない。
著者は己の理想とする社会を「[納税]負担の概念を広く参加ととらえ」る「参加型社会」(p.197)、「就労を通した参加型社会」(p.225)、「参加型福祉国家」(p.225)などと呼んでいる。そして、そこでの「社会的連帯」(p.193)や「社会的想像力」(p.58,p.208)の重要性を強調している。そして、これらのための意識改革の重要性を強調している。ただし、著者は意識改革の「危険」性(p.133)も指摘している。そこで、著者は「教育の役割」(p.53,p.210)の重要性を強調しているが、具体策を論じていないのが物足りない。この点でのジャーナリズムの役割も重視すべきだろう。