自由の側面から経済学の本質を捉えようとした書籍は、間宮陽介氏の論考をはじめ、優れたものがいくつかある。しかしそれらの本があくまで正当な経済学史の流れの中で語られてきたのに対し、この本は完全に突き抜けている。氏はスミスに始まるこれまでの経済学は死にいたるネクロ経済学であり、選択の自由が実は自由の牢獄に過ぎないと主張する。経済人という理論的存在の合理的行動を前提する経済学のうそ臭さに気がつくのは、確かに毎日の普通の人間として生きている瞬間においてでしかない。
論の中ほどで、われわれの生き方の話になって、そこで氏の痛切な個人的体験が語られるのだが、それには一瞬の違和感が生じたことも事実である。しかし、多くのこどもたちが氏の経験したつらさを現実に感じていることは、子供の相手をする仕事をしていれば、容易に理解できるところである。経済学のうそ臭さを感じる瞬間が個人の生き方のなかに現れるのなら、氏の体験談が、ただの個人的感傷を超えて意味を持ってくるのだろう。
おそらく経済学が科学であろうとすることがそれらしいアルゴリズムを必要とし、選択の自由という概念との親和性を生んでいるのだろうと思う。ビオ経済学が科学であるべきなのか、経済学の存立基盤を射程に入れた議論になっていくことを期待したい。