ある種の人間にとって睡眠とは、「逃走」を意味する。耐え難い現実からの、自分のあまりにも低い社会的地位からの、そして自分自身からの。意識を遮断しての、夢遊病へのトリップ、寝逃げというやつだ。本作主人公の寧子もよく寝る。時に寝すぎて後悔する。そう、典型的なダメ人間である。
主人公の虚実の入り乱れた精神世界と自問自答、その先に待っていたのは「ヤンキー文化」という名の処方箋であったが、それでは彼女の闇は晴ない。シャコ短のヘッドライトの明かりでは、明るすぎるのだ。
同棲する彼氏、津奈木への言葉――
「あたしがこんだけあんたに感情ぶつけてるのに楽されるとね、元取れないなあって思っちゃうんだよね。あんたの選んでる言葉って結局あんたの気持ちじゃなくて、あたしを納得させるための言葉でしょ?」
ここには男と女の普遍的な接続不全の問題が隠されている。男は「解決」を提示しようとしその実、女の「共感」してほしいという欲求には答えてくれない。寧子にとっての共感とはさしずめ、自分と一緒に同じくらい疲れることであり暴走することでありそして、素っ裸になって街中を駆け抜けることなのだ。彼らは恋愛しているのではない。もがき苦しみながら生き延びようとしている。
斎藤環が2000年代初頭から中期までにひきこもりを題材にした小説があったが佳作ばかりで潰えたと書いているが、この作品は取りこぼすにはあまりにも大きすぎるだろう、歴としたひきこもり小説である。