「自分で自分の声を聞く」。それが人間の心であり、私の内面である。そういう思い込みを徹底的につぶすために、著者は格闘する。本書は、その格闘のプロセスの記録である。結論はまだない。
アフォーダンス理論を最大の武器として、メルロ・ポンティの現象学的身体論や昨今いちじるしい進化をとげている認知科学研究や共同学習論の知見、(ポスト)構造主義のテクスト論やバフチンによる相互応信としての発話といった発想、そして現代における動物観の問い直しなど、様々な飛び道具を駆使しながら、デカルト哲学に代表される、環境・自然・身体から独立した「心」=「私」があるという幻想を破壊していく。テーマを微妙に変化させながら議論がめまぐるしく展開していくのだが、目的意識が明確なので読みやすい。
周囲の環境に満ち溢れる意味を発見しながら身体を動かし続けるという出来事、その流れのなかに生命があり心があり私がある。何とも開放的ではないか。自分の心がいまここだけでなく、あっちにもこっちにも、あの人たちのなかとそとにもあるのだと意識するようになる。コミュニケーションとは、個人間の情報のやりとりではなく、何らかの「作品」らしきものを共同で創造する営みである、とか、三谷幸喜のドラマみたいなわきあいあいさがただよっていて、いい。あるいは、目的達成のために特定の作業をこなす人間の主体性とは、「あるか、ないか」と割り切れるものではなく、一緒にいる他人や手近な道具やまわりの環境とのかかわりをふくんだ、連続的で量的なものである。私が「できる、できない」という自慢と自虐の迷宮からの脱出口が、はっきりと見えてくるのが素敵である。