最近、よく耳にする武士道の精神とは何なのか?
江戸時代の武士とはどのような倫理道徳観をもって生きていたのか?
日本人としての考え方、生き方の参考になるのではないか?
「人を斬るこわい人」というイメージを持つ武士像を子どもに、道徳教育も含めわかりやすく還元する方法に役立つのではないか?
このようなことをきっかけにこの本を読んだ。
新渡戸稲造は、1984年から発行された5000円D号券の表面に描かれていたことで有名だ。
彼は明治時代、江戸時代の武士の精神構造に本能的に組み込まれていた信仰ともいうべき武士道を通じで、それまで誤解されていた日本人像を外国人に紹介した最初の日本人である。
鎖国体制が続き、諸外国との交流や交易が少なく、「人を斬る」「容易に切腹する」など誤解されていた武士像を、新渡戸は「BUSHIDO」を書き、外国人に紹介することによって、武士ひいては日本人や、日本の文化を理解させる第一歩を作った功績は本当に大きい。
「BUSHIDO」は「日本人の説明書」と言ってしまえば、新渡戸の功績の前で恐縮だが、わかりやすくいうのならばそういうことであろう。
彼は武士道の衰退を必然であると感じたころから、キリスト教に帰依するようになったが、
ある知り合いの若い人物が「新渡戸はクリスチャンでありながら、日本の5000円札に描かれたことはすごい」と言っていた。
仏教、儒教信仰のある日本で、クリスチャンの新渡戸が紙幣の肖像画を描かれるという違和感は、彼の国際人としての遺してきた功績、諸外国からの知名度を前にするとそれほど国として意識することはなかったのだろう。
新渡戸がなぜ紙幣に描かれたか私はこう考える。
D号券発行当時はまさに日本経済は世界中を席巻しており、「円」の国際化が意識されはじめた時代であった。折しも翌年はプラザ合意の年であり、円高時代に突入するわけだが、日本人を世界に知らしめる最初の土壌を作った新渡戸を紙幣の肖像に登用することに、諸外国に円の国際化を進めていく国家の戦略をイメージされるような意義があったのではないだろうか。
本題の本の内容に戻ろう。
「武士道」は日本人が外国人に向けて書いた初めての日本文化論だ。
ベルギーの法学者ド・ラブレーから宗教教育のない日本でどうやって道徳教育が授けられるのかを問われ、即答できなかったことが執筆の動機である。
彼は武士の目指すべきものは「名誉」であると論じる。そのため、武士が恥をかくことは不名誉なことであり、ときに切腹を至るのである。切腹は単なる自殺行為ではなく、不名誉を懺悔する行為なのである。「名誉」を得るために、武士は義・礼・仁・智・勇をもって人に接するのである。
それぞれに新渡戸は具体的にかつ諸外国の哲学者の思想等を引用し、説明している。
私が意識したことを挙げておこう。
卑怯な行動や不正な行為ほど恥ずべきものはない。そうした心性が義なのである。
司馬遼太郎の功名が辻にもあったが、戦国時代、敗北した敵の首をとったところで、功名は小さいことなども武士道の義の精神の一つなのであろう。
まだ第5章の須磨の浦の激戦の引用は、学校でのいじめ問題で活用できる題材にもなる。
また切腹についても説明しており、「切腹は法律上並びに礼法上の一つの制度だった。それは中世に発明された、武士が罪を償い、過ちを詫び、恥を免れ、友を救い、自己の誠実を証明する行為」であった。
そして富や金は非常に賤しいものであると思われていたことも、現代との価値観とは多分にずれがあり、感激である。当時の武士は今の日本の資本主義体系、営利主義をどのように思うのであろう。まさに「恥」であると考えるはずだ。
最後の山本博文氏の解説は非常にうまくかけており、その中でも触れられているが、今、武士道が注目されてきているのは、現代日本人が、武士道の精神を持つ昔の日本人に尊敬の意を持ちながら、そのずれを苦しみ、精神を正していこうという意識の表れではないだろうか。