ネット時代の殺伐とした現代社会に生きる私たちが、そこからいったん立ち止まり、自分の本当の“心”の声を聞かなければ、と気づかされる書である。急ぎ足の社会の時間に流され、そこに自分がはまり込んでいることに気がつかないまま過ごしている。海外のメディアが日本の代表的な様子として、東京の通勤ラッシュを映し出し、養鶏場の鶏と同じだと皮肉っていたことがある。まさに、私たちはそんな社会の中に流され、それを現実としてしまっている。そうした生活に直面する様々な出来事を「瞑想」を通して意識、つまり“心”の改革ができる1冊であると思う。
著者によれば、現代社会の時間の感覚、密度はほぼ限界に近いところまで濃密になっているが、その自覚が私たちにはない。瞑想の時間を確保することで、近代的な時間がつくりだした「鉄の檻」を抜け出せるのではないか。私たちの心の状態は、普段から変わり続けている。自らの心や身体に向けて、選択的に覚醒度を高めていくことで、見落とされてきたものを振り返ることができるようになると期待される。それが瞑想だという。ヨーガや禅など、諸宗教の中の様々な瞑想を紹介。私たちの心の状態は常時切り替えられ、多くの瞑想は変性意識に入るための技法をもっているという。また、嗜好性の薬物が変性意識状態を方向づけたり、管理していたりする。私たちの日常は「覚醒」と「酩酊」の往復という、軽度な変性意識状態の活用によって、つくられているようだ。例えば、覚醒に近づくコーヒーや酩酊し、非覚醒に近づくアルコールなど。
また、内観法がもたらす意識変容や、アルコール依存症からの回復体験の事例は、日常生活の問題に向き合うのに分かりやすいヒントになるだろう。刑務所や少年院などの矯正教育や企業研修でも用いられている、「内観法」は過去を反省し、懺悔し、心を見つめなおす。アルコール依存症者同士がたすけあって、断酒を試みる。この2つの事例はあえて集団で行い、正直に心の内を語ることで、新しい意識状態を作り出しているという。
苦難や精神的苦痛に直面したとき、昔から瞑想は重要な解決策であるが、やりすぎには注意が必要である。正しい指導者と時を選び、体調に配慮することがポイント。また、著書の最後には、病や死という苦しみに直面している、医療や介護の現場を事例にあげ、瞑想がもたらす効果を考察している。病や介護の苦しみを語ること、聞くこと、語れる場を維持することは、瞑想的な努力だという。また、「死」について考えることも1つの瞑想としている。ホスピスを、意識変容と瞑想という観点から着目し、サンフランシスコの禅ホスピス・プロジェクトを例にあげ、終末期ケアやケア・ボランティアの共感能力の育てる訓練について紹介。瞑想的なスキルが、ケア・ボランティアに必要な能力を培うという。瞑想実践を取り入れて、ケア・ボランティア自身の悲嘆の経験を想起させ、ケアの受け手に共感できるようにする方法は広く応用できる可能性を持っている。
こうした、変性意識という概念を手掛かりに考えてきた瞑想。時計という時間は催眠的状態であり、「瞑想」などの意識変容で時間を見直すことの大切さが書かれている。意識変容は他者との関わりの中において見直すべきで、瞑想の糧になりうるという。
本書の特徴は、どのような分野で活躍している人も、日常の悩みや問題に向き合い、見つめなおすヒントが隠されている点である。携帯や電子機器に囲まれ、それらを使っているつもりが、いつのまにかそうした機器に使われている私たち。人間がつくりだした「時間」の流れの中で、改めて自意識、自分の素の“心”の声を聞く。そんな瞑想をしてみたい、と感じさせられる本である。