秦氏の渡嘉敷の集団自決の知識の多くは、曽野綾子の「ある神話の背景」に拠っているようだ。その上で自分勝手な妄想をしている。 たとえば、自作地図?で恩納河原を北山陣地の北に描く。そして西山地区の谷間を村役場が以前から隠れ場所と想定していた地点としている。(実際は西山地区のだいぶ南に位置する恩納河原だが)また、島民のまとまった集団自決は3/27日夜半と28日の正午前後とする。3/27は島民が赤松の命令で大きく三集団に分かれて西山地区に向かっていた時期に当たりこの時期に集団自決があるとする証言はない。唯一、谷本版陣中日誌に「昨夜出発したる各部隊夜明けと共に帰隊道案内の現地防衛招集の一部支給しありたる手榴弾を以て家族と共に自決す。本朝二、三件の模様なり。」と記載するがこれとて28日朝。しかも島民や勤務隊の証言もなく、道案内の防衛隊が個別に二三件脱走する事態は想定しにくい。どちらも赤松があとづけで攪乱情報を流したに過ぎない。 もっとも大規模な集団自決は28日午後8時からの米軍砲撃から翌朝まで続いた、フィジガー残留阿波連住民のものであった。 これを外した秦の自決認識などまったく信用することができない。 秦は、渡嘉敷の集団自決にかかる交錯した情報を整理しきれず、曽野と赤松の偽情報を信用したため、混乱して淺読みの憶測を書き連ねた。批判する「鉄の暴風」と同じ轍を踏んでいる。
従軍慰安婦については、軍からの委託で外食にたとえれば集団給食であり、個別の外食ではない。軍施設の利用や軍資金も出ている。 秦が同じ態様と説明する戦後米軍相手のものは、政府が自治体や民間に依頼・指導・監督したことは認められるが政府が委託・施設・金銭支払いをしたとする証拠が提示されていない。また秦の指摘するベトナム戦争の慰安婦に関するブラウンミラーの訳文は「 ここで働いているのは、戦争で家や家族を失った難民や、もともとサイゴンで水商売をしていた女性たちだった。彼女たちは省知事の指示で集められ、ライ・ケ市長の指示によって町へ送り込まれた(二人は相応の分け前を受け取っていた)。こうした人員の調達や料金の取り決めなどの仕事をヴェトナム民間人に委ねた上で、アメリカ軍部は衛生面と安全保障面の管理統制を受けもった。「女性たちは毎週、衛生兵によって性病検査と消毒を受けていた」とアーネットは肯定的な口ぶりで話した。・・・・陸軍基地内の慰安所(「罪の都」「ディズニーランド」「ブーム・ブーム・パーラー」などと呼ばれた)は師団長である陸軍少将の裁量で設置され、大佐クラスの旅団長の直接監督下におかれた。ヴェトナムにおける米軍慰安所が、陸軍参謀総長ウィリアム・C・ウェストモーランド、サイゴンの米大使館および米国防総省の三者の了承のもとに成り立っていたことは明白である」となっていて委託・集団給食のようには読めない。むしろ、公認されある程度管理統制された民間主体の業態に思える。 しかし、秦のいうとおり(そもそも日本軍が慰安施設を作った目的が中国戦線での乱暴狼藉を防止するためとの軍の公文書が存在し)軍による強制連行は法度の筈でインドネシアなど一部にみられる連行は少なくとも山賊行為として、取り締まり対象となるはずのものである。氷山の一角という主張もありえるが山賊行為があたりまえになれば、軍の戦争目的に対する効率は低下するので食料略奪のような頻度ではありえない。 従軍慰安婦については、本質を外れた噛み合わない論議が続く現状がある。
いずれにしても、秦郁彦は歴史学者とは思えない。思い込みと扇動をつつしみ、正確な事実の検証と法律的整理に努めるべきである。