「現代美術を難解でとっつきにくいものと考えている方も少なくないかもしれません。
しかし、長年様々な美術に生活の中で向き合ってきた私から見ると、現代美術というものは
とてもシンプルで直感的に分かりやすく、むしろ印象派や近代美術の方がずっと難解で
専門的な知識が必要なもののように思います。……現代美術は『今』の時代の『今』の
解釈、つまり皆さん自身の感覚で自由に接して楽しめばいいのです」。
表題から『
Exit through the Gift Shop』のような話を期待していたわけであるが、
開いてみればなんのことはない、自身の名付け親は武者小路実篤という由緒正しき自慢話に
はじまる、まだこんなバブル全開の人間がいたのか、という脳内お花畑の世迷言の羅列。
時折、難解げな用語を織り交ぜてみたり、9.11などの時事ネタを論じて、賢い風を
演じてはみるが噴飯もの。
クーンを読んだこともないくせに「通約不可能性」を生意気に
解説したかと思いきや、別の個所では、とあるコレクターについて、「審美眼が厳しく、
本当に良い作品しか買わない」なんて宣ってみせる。「審美眼」や「良い」を規定する
「パラダイム」の非自明性こそがクーンの議論からの派生事項だということを、少しでも
知った上で書いているのだろうか。「可能態」、「現実態」が
アリストテレスに由来する
用語であることも分からないらしく、「想像されたこと」、「実際に起きたこと」なんて
間抜けに過ぎる補足でドヤ顔。
本書のキータームのひとつでもある「ビジョナビリティvisionability」の説明も
「イメージに固有の強度、インテンシティ(濃密性)を志向し、ユートピア的な世界の
複数性の構想に向かいます」なんて抽象論に終始。「意味から強度へ」なんて、社会学や
ポストモダンの議論ではるか昔に使い古された話だし、「鑑賞ではなく体験」というのも
やはり映画批評では古典に属するような話。
周回遅れのにわか理解の劣化コピー、って誰、その村上隆。
――という程度には「現代アートバブル」解説にはなっているのではなかろうか。
こういうバブル脳に触発されて、似非セレブ気分を満喫できるようなタイプの
人間には、とりあえずお薦め、かな(笑)。