表題にさせて頂いたのは、比島戦より生還し、著者と親交のある歌人平木次郎氏の歌である。
「あとがき」をじっくりと読まれると良いだろう。著者の公正で真摯な執筆姿勢に深く敬仰させられると共に、体験者として日本陸軍の本質を痛烈に言い表しており、非常に秀逸である。
一兵士として比島戦に参加した著者は、余りの悲惨な経験が忘れられず、自身が参加した作戦を中心に独自に研究を進められ、生存者からの証言と、それを裏付ける考証を基に、北部ルソン作戦の一局面を本書に再現している。表題とは異なり、大盛大隊のみでなく、それに関連する部隊も詳細に追跡しておられる。
およそ21万7千人もの(諸説あり)未帰還兵を出しながら、比島戦は未だに広く知られずにいる。同時期以降、ビルマ撤退戦、硫黄島戦、神風特別攻撃隊、沖縄戦、本土防空戦とより内地に近い戦いが続いていく為、研究書等はそれらに偏る感がある。しかし比島では、他地域以上に飢餓や瘴癘病苦が大規模で悲惨を極め、日本陸軍に珍しい市街戦や戦車戦まで戦われたものの、歴史に置き去られた戦いの感が強い。それでも将兵は終戦まで悪戦苦闘して抗戦し、その殆どが帰らなかった。本書の舞台となるカバルアン丘の奮戦も、フーコン・タラワ・硫黄島にも劣らない力戦敢闘だったし、歩兵第七十一聨隊の薩摩兵達の強悍ぶりには瞠目させられる思いがする。また、収録される彼等の生の声には、胸が痛む思いがする。
そんな絶望の状況下で、自分たちが一日頑張れば、それだけ本土決戦部隊の戦備の時間に貢献し、妻子や親兄弟を護れると信じて戦った将兵に、日本陸軍は何を強要したのか。全滅した大盛支隊から一足早く本隊に復帰したことで白眼視され、自決に近い戦死を強要された大隊副官今井中尉の最期に関して、著者の言を引用する。
『いったん死すべき運命におかれた将兵がたまたま生還すると、これを飽くまでも死なせようとする偏狭な思想が日本軍にあった。ガダルカナル島の生き残りの兵に与えられたのは、いたわりと休養ではなく、ビルマに送られてほとんどが戦死または餓死をする運命であった。特攻出撃を命じられたある陸軍の操縦員が、数次にわたる出撃にも自殺攻撃を行なわず、通常の爆撃を行ない、敵戦闘機の追撃を巧みに躱して生還すると、指揮官たちは、当時としては得難いこの優れたパイロットを生かして使おうとせず、あらゆる手段と威嚇によって、彼を殺すことに専念したという』
日本の軍隊の人命軽視や、怠惰で独善的な戦略・戦術はおよそ近代戦を戦えるものではなく、張鼓峰・ノモンハン以降、太平洋戦争のあらゆる局面で現れ、最前線の将兵に無為な犠牲という形でのしかかっていった。その実例は枚挙に暇がない。必死に奮戦の限りを尽くした勇敢な日本軍の将兵はその為に各所で玉砕し、夥しい戦死者を出した。それを的確に暗示する本文を引用して、書評を終えたい。
『アメリカ軍戦史は、カバルアン丘の戦闘での第六軍の損害は戦死八十、戦傷二百と記している。これがほんとうなら、戦死者の数は大盛支隊の一割にもみたない。このかけはなれた損害の比率は、このあと行なわれたすべての戦闘での比率を予示している。「一人十殺」とは、敗勢の日本軍がさかんに唱えたスローガンであったが、実際は、アメリカ兵一人に、日本兵十名が殺されていた。』