主人公の成雄が十四歳で生まれることから物語は始まって、(おそらく)十八歳の頃に物語は終わる。
だから、題材とされた期間という意味で捉えれば、この本は丸々そのまま、青春小説だ。
でも。しかしながら。この小説は青春らしさを伴っていない。
楡という明確なヒロインまで投入されていながら、成雄の思考は青春らしい欲望に対して余りにも距離を置いている。
私たちが実感する概念としての青春と、成雄が経験する青春の間の位相のずれを利用して、不思議な空気感を生み出している。
主人公の成長が進むにつれて天地の理まで曲げてしまう舞城節は相変わらずだけれども、ディスコ探偵水曜日で世界をまるごとぎゅっとまとめてしまったような迸りは抑制されている。
そう出来なかったのは、「獣の樹」という書物が舞城ワールドという奇妙なバランスで立つモビールの中でも、とりわけウェイトを置かれたパーツだからだと思えてならない。
無理矢理引き抜いてしまうと、周りごと崩れてしまうジェンガのブロックみたいな。
なにせ、鬣の生えた韋駄天少年成雄については既に二篇の既発表作があり(
山ん中の獅見朋成雄と
SPEEDBOY! (講談社BOX))、
作中フレーズ『喜びは鳥になる』はそのままタイトルの短編があり(2005年12月22日号週刊新潮掲載)、
なにより、青春、ひいては青春小説の取り扱いは、舞城王太郎がずううっっとやらかしてる領域なのだから。
寝取り男に対して相変わらずどうでもいいくらいに無慈悲なのにはちょっと笑ってしまう。