美しい物語である。前半の義満乳母・細川頼之・玉子夫妻の身辺についての説明調な展開にはやや顔をしかめたが、連載小説であった事と、南北朝・室町期の複雑な時代展開をおもんばかるに、それも致し方ないかと思えるほど、後半が実によかった。義満、世阿弥、三宝院満済との三つ巴は見事な筆致で絶妙な関係に描き切られており、後半は引き込まれるように読み進められた。三人の孤独が切なく、愛が美しい。ここに世阿弥の能が効果的に絡むと一層、そんな様相が深まってくる。支配者の座に早々に就かねばならなかった義満の押し殺した自我と、芽生える野望が納得のいくステップを踏んで描かれる中での、世阿弥少年との出会い、触れあい。しかし義満は世阿弥にいったんは激しく惹かれながらも心の奥底で乳母・玉子へのプラトニックな愛を貫き通してゆくのである。此処に世阿弥の苦しみも生まれる。義満の苦しみを解き放つのは満済であるが、この満済自身が義満によって非常に煩悶を抱えてゆく過程も見逃せない。義満の野望を断つべく放たれた刺客である満済は、しかし義満という孤独に触れ、その愛を受け、やがてどうしようもなく惹かれ、苦しむのだ。ついに思いがけぬ陰謀の渦中に巻き込まれる形で義満の死を看取った満済の涙は、己とはじめて真剣に向き合って流せた浄化の潤いでもあったろう。一方義満の孤独を癒せてもその愛は得られなかった世阿弥は、能の世界に己の全てを委譲し没入することで、己を在らしめようとするのだ。悲鳴の聞こえる様な生を歩もうとする世阿弥、満済の孤独な闘いをも予感させる物語のしめくくりは、切ないが美しく、気高く力強いのである。