学生時代、井上靖と同級だった美学の教授が、講義中ちょっとした懐古談をしたのを覚えている。詳しくは忘れたが、井上は立派なものだ。彼は学生時代から小説家をめざしていた。まず「詩」を勉強し言葉(表現)をみがく、卒業したら新聞記者となり、社会・人間を広く知る。小説にはさまざまな題材が必要だからね、と言っていた。計画どうり彼は毎日新聞で14年間記者をやって、小説を書き始め作家として成功した、というものだった。
「猟銃」は井上の処女作。ここで既に、後の中・長篇ロマン(「渦」「あした来る人」「氷壁」「憂愁平野」など)で追求される井上文学の中心テーマ――人は愛し愛されることを求めて生きていく。だが満たされる愛などあるだろうか、結局は孤独と憂愁を抱えて生きていくのが人間存在ではないだろうか――は色濃い。
従妹みどりの夫三杉と不倫関係におちいった彩子は、三杉と共に「みどりのみならず世間すべてを欺こう、二人で悪人になろう」と決意する。秘密は死守しなければならない。みどりに知れた時は、自ら死をもって罪を償う時だ。みどりはこれを当初より感づいているが黙認し十数年が経過する。そして破局の時が来る。病床の彩子を見舞ったみどりは、彩子が三杉より贈られた紫の薊を浮き出させた羽織をまとって床に座っているのを見て、思わず「思い出のお羽織ね、これ」と口走り、彩子の顔は硬直する。
死後三杉宛ての遺書で、彩子は意外な事実を告白する。あれほど罪の意識に苦しみ、みどりに知れたら死のうと思っていたのは<滑稽な夢想>で、自分には<一匹の小蛇>が潜んでいた。生きる支えを失ったのは、奇妙にも、長い間意識することもなかった離婚した彩子の夫がとうとう再婚したのを知ったためだという。
小説は、この物語の語り手である「私」に、三杉がみどり、彩子、彩子の娘からの手紙3通を提示する構成となっている。「私」は三杉の添え書き<自分が猟銃に興味を持つに至ったのは、もう数年の昔にさかのぼることで、その頃既に猟銃は私の肩になくてはならぬもののようであった>を何度も読み返すうちに、三杉がこれ等三様の告白から知り得た新しい事実は何もなかったのではないかという気がしてくる。
三杉は妻を愛そうとして果たせず、彩子との愛に賭けはするものの、満たされた究極の愛などないことを予感している。「私」が天城山麓で見かけた、猟銃を肩にゆっくり山道を踏みしめて登っていく孤独な後ろ姿が三杉だったのだ。
井上文学から深遠な哲学を読み取る必要はない。ただ比類のない詩情、清澄なリリシズムを愛しながら、大人のロマンに浸ればいいのだと思う。