本書は、チャウシェスク政権下のルーマニアの生活を描いた物語。
チャウシェスク政権といえば、独裁国家。
経済的困窮のために、市民同士が相互に監視し合い、密告し合い、いくらかでも自分の生活をよくしようという気持ちにさせられる時代と社会。現代に生きる私たちには、とても想像だにできない世界。
それだけに、本書は貴重な歴史小説だともいえるのではないか。
本書を読んでいて思ったのは、どうしてこれほど学校での生活、工場での労働の描写、労働者たちの会話が、これだけリアルさを感じさせるのかということだった。
作家というものは想像の世界から創造するのが仕事だとはいえ、どうしてここまで読み手を納得させるストーリーが描けるのか、というのが私の疑問のひとつだった。
それは訳者あとがきで種明かしがなされる。
著者自身の体験それじたいが下敷きになっているとのこと。
本書で著者は、「自己」の体験を描いたのだ。
まさに体験した者でなければ描くことのできないリアリズムが本書に流れている。
故郷を追放されても愛する祖国、郷土を思うという気持ちが、本書を書かせたのだろう。
もうひとつ本書を読んで感じたこと。
秘密警察が暗躍する国家、社会に生きる市民たちの恐怖。
いわば社会全体がチャウシェスクが作った組織に囚われている。
社会全体が「囚われの身」。
生活物資さえ自由にならず、発する言葉でさえ常に監視の目と耳を気にしなければならない生活というのは、いかばかりか。
私たちの生活は、「自由、ときどき不自由」。
しかし警察国家では「不自由、ときに自由」。
明日もまた暗黒の今日と同じ日しかやってこないという生活。
想像しただけで恐ろしい。
しかも、それは、時間を区切られたものであって、それまで我慢すればよいという性質のものでもない。
そんな閉塞状況に生きる人間の心というものを本書は示してくれた。
チャウシェスク政権は、89年に崩壊し、市民に自由が戻った。
しかし私たちの隣国は、いままさに本書の世界の中にいる。
本書を閉じてから、そんなことを思った。
生老病死に選択の自由はない。
どの時代、どの国の、どの社会に生まれるかなど、われわれ自身が決することなどできない。
それでも私たちは、生きていかなければならない。
本書に描かれる恐怖国家に生きる市民たちのことに思いを馳せる。
ノーベル文学賞は当然の受賞だったのかもしれない。
むしろ、遅すぎたのではなかろうか。
そして閉塞感が蔓延する現在の日本。
もしかして、この時代にこそ、本書は読まれるべきなのではなかろうか。