私はもともと麻雀が好きで、そこから阿佐田哲也のファンになった者です。
彼のことをより深く知りたいと思い、この作品を読みました。
ある50代の男が精神病院に入院するところからこの物語は始まります。
幻聴、幻覚、悪夢にさいなまれる男の描写がえんえんと続きます。
これはナルコレプシーの症状なのですが、この病気のことをただの「眠り病」ぐらいにしか認識していなかった自分には衝撃的でした。
この病は彼特有のものであり、ほかの患者はもちろんのこと主治医とも苦しみを共有することができないし、理解もされません。
このことから彼は深い孤独におちいるのですが、そこから救い出すかのように同じ入院患者の女「圭子」が現れます。
ここまでが前半部で、主に彼の病の特異さを描いています。
この出会いから物語は急転回し、
二人で病院を出ての同棲生活が描かれることになります。
その中で男は人と関わるということ、また人を心から愛するとはどういうことなのか、ということを思索し、懊悩します。
人を愛すれば愛するほど、その不可能さにぶつかってしまい、さらに孤独が深まってしまうというパラドックス。
そんなヨーロッパ映画のようなテーマが後半部では描かれています。
本書を読み終えて阿佐田名義と色川名義の作品のあまりの違いに驚きましたが、それと同時に両者の共通項も見えた気がしました。
『麻雀放浪記』でアウトローの世界を生き抜いた「坊や哲」も本作の中年男も、絶対的に「ひとり」だということ。
人間とは究極的にはたった「ひとり」であり、他との一体感などありえないまやかしであるということ。
そんなひとつの人間観を阿佐田=色川氏は終始一貫して語りつづけた小説家であったと思います。