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当時の時代的背景からは,裁判所は王の専制の片棒を担いで非道に走る機関であり,その横暴を防ぐのは正義と公平の実現者たる理性的な議会の役割であるとされています。つまり,本書では,議会が裁判所を監視することによって刑罰権力が暴走しないようにコントロールする,という構図がはっきりと想定されているわけです。その構図を今日の刑罰権力にそのまま当てはめるわけにはいかないと思いますが,刑罰権力に対するブレーキを権力のシステムそのものの内に組み込んでおかなくてはならないとする基本理念は,今日でも見失うべからざる視点だと思います。
刑事法に興味のある人にとっては非常に興味深い本であり,学習者にとっても効率的な寄り道となることでしょう。
じゃぁ、彼は単に「罪刑法定主義」を定めたに過ぎないと考えるべきなのでしょうか?
答えははっきり言って「否」です。と言うのも、彼は全著作を通じて、刑罰を必要最小限にとどめおくべき理!由を、残酷な刑罰や拷問による取調べや密告等が平然と行われ個人の生命や自由や財産が恣意的に奪われている事や極端な貧富の差によって窃盗が惹起されやすい状態である、と言った当時の社会的な事件や社会的な背景をふまえて、冤罪を防ぐ刑事訴訟のあり方について考察し、そして刑罰権はなるべく謙抑的に行使されるべきである、と力説しているからです。
然るに現在のアメリカやイギリスで見られる、社会学的な分析もなく徒に抽象的な「自律的個人」を強調し、彼らの起こす犯罪に対して「社会に対する戦争状態」とみなす「法と秩序」(Law & Order)政策と、それを受け継ごうとする現在の日本の「厳罰化」政策をみると、「法と秩序」政策の持つ社会的洞察の欠落ぶりや経済的「新自由主義」への無批判な追随!振り、更に「自律的な個人」には「苛烈極まりない刑罰」を課すことも可であるといった本末転倒な思想に対して、そのような思想を有する人がこの本を読んでくれて、徒に「刑罰権の強化」を叫ぶ事を止めていただきたい。と考えるのは私だけでしょうか?
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