チイは、今も走り続けているのだろうか。
明らかに未完成に終わっている作品だが、そのこと自体はあまり問題にならないと思う。
チイは、時代を超えてあの場所から走り続け、今もどこかを疾走している。あの時代から、すっかり変貌を遂げた我々、日本人の間をすりぬけて。
未完に終わった最終場面が、そのような形になっているので、まるでチイが今も生きていて、オカッパ姿の7歳児のままで、今も僕の心のどこかを走り続けている。愛おしさをひきずることも、物語が未完のゆえだ。。
「犬神博士」の独白で始まる、小説というよりも。誰も記録しなかった、最底辺の人々の日常の記録とも受け止められる。他に存在しない形の比類がない、小説とはいうまい。そういう読み物だ。
この作品の白眉は、終盤の大活劇ではなく、福岡県の直方(のおがた)の木賃宿に転がり込んだ両親とチイ、その所持金をイカサマ博打で、巻き上げようとする、木賃宿の主人こと「瘤(こぶ)おやじ」との対戦の場面だと僕は思う。
敗北に追い込まれてゆく両親。それをじっとみていて、最後に勝負を挑む7歳児。一筋縄ではゆかないインチキ博打うちの「瘤おやじ」との、息が詰まるようなサイコロ勝負。花札勝負では、相手のイカサマに対抗したものの、「瘤おやじ」の完璧な対抗策に、クズ札ばかりをくらわされ、あきらめた瞬間に訪れた勝利。あの種類の勝負ごとをかじった人間であれば、体が反応してしまうような、真剣勝負の瞬間が、描かれている。
夢野久作の最大の作品「ドグラマグラ」も壮大な作品だが、この「犬神博士」は、僕の心の中に住み続ける、最も愛するべき彼の作品だ。