近頃、「土門拳」の『死ぬことと生きること』を読んだ後に、この『犬の記憶』を読むことになった。時代や世代が異なるとは言え、直接の視覚体験を文章に変換する写真家の文章には、文筆家や作家の文章とは異なる清潔感みたいなものを感じる。
『犬の記憶』は一貫して都市風景のスナップを撮り続ける、写真家森山大道の自伝的エッセイ。1982年から83年に『アサヒカメラ』に連載された原稿や写真に、加筆して「朝日新聞社」より『犬の記憶』と題して出版された著作を文庫本化したものである。登場する思い出や写真は60年代後半から70初頭。10・21国際反戦デーの新宿や、ベトナム戦争当時のヨコスカ、まだまだ東京のいたるところに存在していた場末の風景をとらえた写真とともに、風景を撮ることで<記憶>を蘇らせようと街を徘徊する森山の心情をつづったエッセイ集だ。森山の求める<記憶>とは、個人の<記憶>とともに、個人をカタチづくる<メタ記憶>と言ったもので、時代や社会の中で形成される自我意識とでも呼べるものだ。だからこの著作は、いつも「どこかで見た風景」や「記憶の底にある景色」を求めて、「それを見ている自分を探す」旅のように、終わりなく続いてる印象を持った。ロードムービーのようなロードフォトの書。反語的な表現ながら、森山がケルアックの「路上」から引用するように、「青年の旅」の意味をセンチメンタルな感傷に納めず、問い続けようとする、清潔な60年代文学作品なのかもしれない。