小説に初挑戦という石黒さんは、ストーリーそのものと同じくらい力を入れて、主人公の心情をイメージさせる音楽や、匂い、触覚の舞台装置を整え、それから創作を開始したようです。
主人公が、浪人生だったり、母のいない少年だったり、警備員だったりと、著者本人の体験を基にした短編のほか、OLも主役を務めています。
読みはじめて、第1話の浪人生の境遇にさっそく浸かってしまいました。
仕送りなしのひとり暮らしで、学費や絵の具代も稼がなくてはならない。主人公の芸大浪人生が感じる寂寥感は、自分が18歳でひとり暮らしをはじめたときのことを思い出させました。
自分より絵のうまい予備校生に囲まれ、主人公の心はささくれだっていきます。そんな「僕」に寄り添ってくれるのは、バイト先の踊り場につながれていた柴犬のジローでした。バイト先に出勤するとき、毎晩8時の「パッへルベルのカノン」を合図にしたゴミ集めを終えたとき、ジローは「僕」の目を見つめてくれました。
閉塞した日常を打ち破るように、バイト先の名曲喫茶が閉店を迎え……。
この他、波の音、車のエンジン音、『展覧会の絵』、『ボレロ』など、各小説の背景に流れる音を聞きながら読んでもらえることを想定しています。
『盲導犬クイールの一生』は、一匹の盲導犬の一生を追う実話で、最後にクイールは亡くなってしまいました。多くの人の涙をさそう物語でしたが、本書に登場する7つの掌編は、けっして「泣ける」小説を意図していません。静かに、淡々と物語が進んでいきます。
音楽を繰り返し聞くように、繰り返し開いてみてはいかがでしょうか。
人生のいろいろな場面に犬がいた。
犬がいたから救われた。犬がいたから深く生きられた。
そんな思い出のある方に、特にお勧めです。