著者は科学哲学者である。その問題意識は、「論証と実験を通じて、客観的かつ合理
的に、より真理に近づくという科学の常識的イメージを打ち壊す」ことにあるという。
そこで著者は「科学のナラトロジー」を構想し、その内実を示すために、次のような章
立てをする。いずれの見出しも、抑制的な物言いの中に、問題提起的な著者の姿勢が感
じられるものとなっている:
序 「歴史の終焉」と物語の復権
第1章 「物語る」ということ
第2章 物語と歴史のあいだ
第3章 物語としての歴史
第4章 物語の意味論のために
第5章 物語と科学のあいだ
第6章 時は流れない、それは積み重なる
第7章 物語り行為による世界制作
物語の観点から見れば、科学テクストと文学テクストと哲学テクストのあいだは境なく
連続している。“近代の知”に対抗するこうした見方を、著者はクワイン(W. V. O. Quine,
1908-2000)を引き合いに論じるのだが(第5章)、そんな予感を見出しからにじませる。
90年代に入って日本にも紹介されるようになった、新しい認知理論である「アフォーダ
ンス」論では、わたしたちの身のまわりに潜む意味を発見するために、「動くこと」を強
調するのに対して、本書は「物語ること」を強調する。ようするに、同書によれば、われ
われが「歴史」や「世界」や「現実」と呼ぶものは、物語を媒介に構成された「解釈」だ
とされる。
だから、それらをあたらしくするには、新しい解釈、すなわち「新しい物語り」が必要
になるはずなのだが、現代においては、人間の「物語る」能力は著しく衰退している、と
いうのが著者の見方である。
とはいえ、われわれ人間は、「諸々の出来事を一定のコンテクストの中に再配置し、さ
らにそれらを時系列にしたがって再配列することによって、ようやく『歴史』や『世界』
について語りはじめることができる」「物語る動物」(p.16)であり続けてきた、との本書
の指摘にしたがえば、既成の世界イメージを異化する新しい物語の語り部は、科学界、文
学界、哲学界のいずれからも出現しうることを、本書は暗示している。