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5つ星のうち 5.0
どうでもよいものの交換によって大事をなすという桃太郎民話のパロディと笑い!,
By August Party (川崎市) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 物語の中世―神話・説話・民話の歴史学 (単行本)
殿上人の仕事場には、天皇が部屋を覗く小蔀(こじとみ)という小窓が備えてあった。天皇がこの小窓から部屋の内部を実際に覗くことはそう多くはなかったのだろうが、最高権威として天皇と、覗き小窓の対比が何ともユーモラスで僕にはすごく面白かった。章の後半では、都から落ち行く幼帝安徳天皇が京に戻ることを願いながら、小窓の備品(「承足」と呼ばれる台)を携えていたと著者は推定していて、上等な小説を読むような感興を味わえた。しかし、この本の魅力をもっと手っ取り早く言おうとすると、“桃太郎”の民話における「お腰につけたきびだんご」についての意味論を紹介した方が良いと思う。著者は、中世の成人男子にとって実用的かつシンボリカルな身の回り品、烏帽子・腰刀・腰袋に着目する。腰刀については、黒田日出男氏の言葉、中世とは「民衆が腰刀を差す作法の時代」という着眼から、僕が思いつくような中世民衆の防衛的“武装”論へ短絡しないところが勉強になった。腰袋については、その中身の推察から始まって(必ずしも、金銭だけではない)、驚くべき結論に至る。鬼退治にむかう桃太郎の腰袋には路銀としての金銭が納まっていなければならないにもかかわらず、桃太郎は価値あるすべてのものからはじかれていた、と言うのだ。きびだんごが表象しているのは、金銭からの疎外、貧困そのものであり、そういう者が本来は武士の大事業である鬼退治を成し遂げてしまう倒錯・パロディー性こそを中世の人々は、笑い楽しんだはずだという。 現存する腰袋がないことから著者は腰袋を自作する。著者の学のノリが権威ぶることから遠く、歴史的イマジネーションのうちに遊ぶことを本来としているようで好ましく思えた。そして必ずしも分かりやすい文章ばかりではないけれども、ふと記憶に蘇ってきて、時にはページを括ってみたくなるような僕にとっては大事な本になった。
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