先日その著書を読んで驚いた植物学者・牧野富太郎氏の自叙伝と、本人が関わった機関誌「混混録」からの記事、牧野氏の娘・鶴代さんによる「父の素顔」を併せて収録した著作。
土佐の酒屋の跡取り息子として生まれ、植物に魅了されて一生を植物の研究にささげ、小学校中退という学歴ながらひたすら学修を続けてやがて理学博士にもなり、東大の研究所に勤めながら同僚のいじめに耐え、図説や図鑑を多く刊行して成果を世に広め、日本でいち早く植物の学名を付すことをはじめ(その数およそ二千五百種だという)、酒も煙草もやらずにひたすら採集と研究を続け、妻と子供を抱えて貧乏に苦しみながら家族を愛し、九十五歳の天寿を全うしたというその生涯が、重複箇所は多い文章ながら纏められている。
その生きざまは先日読んだ著書からも感じられるように植物を溺愛し尽くした行跡で、自分は植物の精なのではと一再ならず自問しているが、まさに植物のそぞろ神に憑かれているかのような人生のようで、家財を使い果たし借金に見舞われても、家族に悪いと思いながら植物漬けの人生を貫き通したようで、奥さんも「道楽息子を抱えたようだ」といいながら深く牧野氏を愛し、牧野氏も奥さんの名を植物の学名に付し、奥さん亡き後はその植物を妻の墓前に供えるなど、感動的なエピソードもある。娘さんのお話も、牧野氏の情熱が見せ掛けでなかったことを伝えてくれる。
もちろん牧野氏は聖人ではなく、文章を読んでも奇矯な振る舞いや癇の強い性格を滲ませているし、短所もあったのだろうが、文中に一部ある講演の語り口を読んでみても、非常に魅力的な人間なのは間違いがないと思う。一方で理学博士という肩書きなど本当はいらないのだといい、学者たるものいくら齢を重ねても学び続けるのが当然の義務であり責任であるという学びの厳しさもあって、尊敬できる。なにか、昔少し読んだ南方熊楠を思い出した。
他にも植物研究がナショナリズムに結びついていく部分や、「混混録」の一篇で紹介している座談会で志賀直哉が指摘しているように、牧野氏の文章が面白いというのは同感できるし、色々な観点で面白さがある。植物学のことも、牧野富太郎氏のことも、彼の生きた時代のことも、関連する人々のことも色々考えさせてくれる一冊。