前作『音盤考現学』が吉田秀和の絶賛、そして本書は音楽学の俊秀・岡田暁生の大絶賛である。しかしねえ、まず言っておくけど、岡田の本の方が面白いって!
「初版限定」と銘打っての巻末袋とじ付録に片山の批評スタイルが語られている。CDガイドあるいは演奏論の体を取りながら、表主題と裏主題があるといい、CDは本当に書きたかったことの裏主題であるケースがあるという。本書の文章では、そのほとんどがこうした体裁である。確かに、これは芸である。1枚のCDからエッセイをひねり出す。その文章を読むことが快楽であり、CD選びの実用性よりは筆者片山の文芸を味読する。
いやはや、最早片山は小林秀雄の領域にあるといってよい。もっとも、評者と同世代の片山は「バブル新人類」世代である。こういうのを博覧強記と形容してよいのかどうか一抹の不安がよぎる。
たとえば、「ボリバル主義とオーケストラ」。勿論チャベスも出てくる。袋とじで語られる「南京陥落交声曲」。後者はお仲間と駄弁っているのだから五月蝿いことをいうのも酷かもしれないが、これには典型的にオタクの発想がにじみ出ていると思う。「芸術家の戦争責任」などというものがあり、ことさらにも特殊な状況で、特別な意図の下に書かれた作品の評価にしては軽すぎやしないか。音楽家とて一定の歴史の評価が下される。評論家であれば、それを踏まえた判断が必要なはずだが、この軽いノリにはそんなものは微塵もない。
臭いものに蓋というのではなく、居酒屋談義ならともかく、曲りなりにも言論公表の場において、こうした作品評価には大いなる疑問を抱かざるを得ない。居酒屋談義というのであれば、そんなものを掲載するなということにもなろう。それゆえの袋とじか。
さらに、伊福部の評価について。伊福部90歳の時のインタビュー録音が紹介されているが、その発言も随分杜撰なものである。ハンチントン当たりのトンデモ文明論に「わが意を得たり」という伊福部にも幼稚さを感じるが、片山ご当人の思想(右翼らしいが)はともかく、これでは伊福部のひいきの引き倒しになってなっていないか?
吉田秀和は本書も読むのだろうが、これも絶賛するのかなあ。