勿論作者言うところの“論争(だけ)ファン”ではないものの、文学論争のゆくえはずっと気になっていて、何やら小説作法なども説き始めた敵方に対しては“悔しかったらその作法で「水晶内制度」を超えるもの書いてみな”とタンカもきりたいけど、声なき庶民としてはただじっと見守ってたのでした。
だからこうして八年前からの短編を集めた一冊を読むと、遅ればせながら笙野氏の手負いの勇姿に力づけられるやら、いたわしいやらで、胸が熱くなる。
そもそも論争の中で常に問われているのは“文学とは何か”“小説とは何か”ということで、小説を書くことで答えを出し続ける氏は、時に“そんなの小説じゃない”と面罵され、まさかと思うような言論統制をかけられながら、ひとりで戦い続け、捨てられた四匹の猫たちを守り続けてきた。その中の一匹モイラが急死する。故郷を離れて転々とし、安住の地かと思えた雑司が谷を猫たちのために去り、ゆかりのないS倉に家を構えた氏は、猫の葬式で霊園にひとりたたずむ。“焼き場で待っている時に生まれて初めて、ひとりでいる事が苦痛だと思った。それまではどんな時でもひとりでいたかったからだ。”この文章に私もしばし立ち尽くし、何度も読み返してしまう。内田百ケンのノラと違い、氏にとって猫とは、見捨てられ虐げられ猜疑心に震えながらも生き続ける“生”そのものなのだろう。
さあ、笙野氏の出した新しい答え「金毘羅」を読まなくちゃ!