クリント・イーストウッド監督はなぜ「硫黄島」という映画の制作を思い立ったのであろうか。おそらく、9・11NYテロとその後の「テロとの戦争」が大きな動機になったのではないかと推測される。正義の戦い、愛国心がアメリカを覆い、テロの戦争に誰も異議を唱えにくい環境の中でアメリカはアフガニスタン、イラクとの戦争に突入した。そうした空気、風潮に対するひとつの異議申し立て、そんな気がする。悪と正義に2分したものの考え方に対する抵抗感、正義の戦争なんてない、戦争に英雄はいない、そんな監督のメッセージが静かに伝わってくる。映画は硫黄島の戦闘よりその後の話に重点が置かれている。普通の兵士だった3人が英雄として戦争遂行のために国によって利用される。国家というものはそういうものなのかもしれない。原作者はその兵士の一人ブラッドレーの息子だが、父親は戦後この戦争についてはなにも語らなかった、という。映画は戦争とその後が複雑に構成されており、感情移入が難しい面もあったが、監督の意図はしっかりと伝わってきた。最後に「我々は祖国のために闘いはしたが、国のために死んだのではない。戦友のために死んだのだ」という言葉が強く心に響いた。祖国を愛するということは国家を愛するということではなく、家族や友人、そして、自然や風土を愛することなのだと思う。「愛国心」とはそういものだと思いたいし、そういう感情、気持ちは国から教わるものではなく、自然に醸成されるものだと信じている。正義を声高に叫ぶものには常に警戒しなければいけない、見た後、そんな思いを抱いた。地味な作品だが良質な映画と感じた。また、姉妹作である「硫黄島からの手紙」を見てはじめて監督の描きたかったものがより鮮明にわかるような気がした。