ダイニングの椅子さえひとつひとつ違い、最盛期には200脚の椅子があったという宮脇家。生活のあらゆる場面で、それぞれお気に入りの椅子が使われていた。たとえばアアルトのキッチン・スツール。木製の丸椅子に小さな背もたれがついている。この椅子に腰をかけ、ジャガイモの皮をむいたりビールと文庫本をお供にタマネギをいためていた父のことを思い出した著者は、彼がいかに料理が好きだったかについて語りはじめる。また、仕事場に置かれていたル・コルビュジエ作「グラン・コンフォール」を取り上げた項では、この黒い皮の椅子を「玉座のよう」と形容し、いつもより偉く見える仕事中の父について書く。
著者が結婚したとも、嫁入り支度にどの椅子を持っていくかが大問題。宮脇家でくつろぎの代名詞になっていたマレンコのソファーはすぐ決まった。ダイニングにはシンプルなヤコブセンのセブン・チェア。結婚を認めたものの内心はおもしろくない父が、椅子選びで相談されたのをきっかけにだんだん協力的になっていく過程を通じ、娘を手放す父親の気持ちが書き込まれている。そして、父が亡くなったとき、著者はアアルト作アームチェアのミニチュアをお棺に入れ、あの世で座る椅子をプレゼントするのだ。(松本泰樹)
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建築家宮脇檀氏のエッセイって、ものすごく面白かったですよね。読むと必ず何か得るものがあって、漁るように読んだ時期があります。分かりやすい主張の数々。「お父さんの居場所をつくろう」「子ども部屋はいらない」「料理を作る人を孤独にしない」一つ一つがとてもリアルで、こんなに面白いものの見方があるものなのかと感心させてもらっていました。
時々エッセイの中に出てくるお嬢さんは、好奇心旺盛、元気で、お父様と仲良く暮らしていて、とっても羨ましかったです。あっという間に成長して就職して(読者は本を通して見ているから当り前なのですが)ついに結婚して巣立っていくまでの姿を見せてもらっていました。
宮脇檀氏のエッセイでは今ひとつ具体的にわからずじまいだった、噂の名作椅子コレクションを、ついに写真と共に見せてもらいました。曲線・質感・色。もう惚れ惚れするような美しさです。きっと写真の一つ一つが「一番素敵に見える角度」なんですよね。思い出を宮脇彩氏がつづっています。いやあ、さすがお父様譲りの軽妙な文章です。娘から見た宮脇檀氏のエッセイへの「反論」も入っています。全部読み終えてから、宮脇檀氏との生活をただただ羨ましいと思っていた私は、考えがちょっと浅かったかなと戒めました。せつなさやさみしさが心を豊かにしてくれることもあるのかもしれません。
使っていた人の思い出と共にある椅子コレクションは、何よりも素敵です。美術館に孤独におかれている椅子よりも、きっと椅子にとっても幸せですよね。私もマレンコの椅子、欲しくなってしまいましたよ。
これは、宮脇さんが残した名作椅子と、その生前の日々を愛娘が綴ったもの。
最盛期には200脚もあったという宮脇さんの椅子コレクション。そして、宮脇家のくらしにはいつもこの椅子たちが共にあり、父娘のすばらしい関係が築かれた。
離婚したことへの罪滅ぼしのため、職住近接を実践し、必ず夕食を共にしたときのYチェアやキャブチェア。夕食後のひとときを共に過ごしたマレンコ。
週末のバルコニーに置かれたサイドチェア。娘夫婦のダイニングチェアにとアドバイスしたセブンチェア。退院祝いに父から娘へ送られたシェーカの椅子。
そして、父の棺にしのばせたミニチュアのアームチェア。
娘の父親に対する愛情が、エピソードのそこここからはっきりと感じられる。そして、現在の多くの家族が失ってしまった大切なものがこの本には描かれている。
あとがきに書かれた祖母の言葉。「人の目を気にしたり、上手い文章を書こうと思ってはいけない。素直に自分の思う通りに書きなさい」
ときには微笑み、ときには涙してしまう彩さんの文章は暖かく、そして素敵です。