登録情報
|
|
あなたの意見や感想を教えてください:
|
||||||||||||||||||||||
|
最も参考になったカスタマーレビュー
64 人中、55人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
一章は和やかな親子雑談、二章以降話題は多岐に渡るがメインはコミュ力低下批判,
By
レビュー対象商品: 父として考える (生活人新書) (新書)
オタクの擁護者と援助交際の擁護者というかつて最も父のイメージから遠かった二人が父として語る(前書きより)本書、子供を持たない初期の二人と父となった今の二人の違いを楽しむ等マニアックな読み方をしてくれても面白いだろうとの事。とは言え東氏自身がこう言いつつも「父から遠い破壊的でリベラルな二人」というイメージは単純化されすぎているとも言う。いずれにせよ今となっては二人が揃って自分の娘をツイッターのアイコンにしている事、宮台氏が娘の自慢になると止まらない事などから二人の父としての姿をよく知って馴染んでいる人は数多いと思う。その意味では今更二人の父としての姿に驚くような事はないかもしれない。だがそうは言っても一冊の本の「主題」として「父」が押し出されるのは新鮮な事であるし、この二人が父として語るとこーなるかー(例えば宮台氏がいちいち教育学の説に子供の成長が合致しているかを確認して感心していたり…)という面白みはやはりある。一章の二人の子育て談義はとても和やかな調子で進み、笑いが多く微笑ましい。東氏が前書きで「子育てに関してはそれは違うんですよとはなかなか言えない」と言うように議論といった風ではない。しかしだんだんと毒のある社会批評や、子供ではなく本人らの話が多くなり始めわりと早々いつも通りな風になる。私見では二章から既に空気が変わったと思う。全面的に書名らしい話をしているのは一章だけとも言えるかもしれない。その事からも分かる事だが本書の話題は学歴主義批判から仕事と家族の峻別批判、ツイッター論、若者批判、民主主義など必ずしも教育論に限定されてはいない。また難解さは低く、宮台氏の話も珍しく長くない(長い時は3頁分くらい喋っているのに今回はそれが全くといっていい程ない)。恐らく比較的読みやすくあっさりと通読する事ができるだろう。 最後にやや踏み込んだ生意気な感想を加えておく。話題は多岐に渡るとは言え、私的印象では広く浅くという具合であり、最もメインの話題となっているのは二章以降「若者のコミュ力低下批判」であるという印象が強い。それは最後まで続いており、東氏と宮台氏の議論らしい議論も基本的にこれをめぐるもので、他は掘り下げられないか同調で終わっている印象が強い。宮台氏は大変コミュ力、またソーシャルスキル、集団性といったものを重視しており、悪く言えば些か病的な程にも見える。本人の言葉で言えば「ソーシャルスキル(コミュ力)に基づいて階級社会を作るべき」とまで提唱する程である。つまりそういう社会が来るべきという事ですか?と問い返す東氏は文字だけでは分からないが、この宮台氏のコミュ力至上主義にはあまりついていけていないようにも見える。実際東氏は例えば最近の若者はコミュ力がないと宮台氏が言う時には「ツイッター等を見てると今の若い子もコミュ力があるように見える」と返すし、宮台氏がヘタレの根性を叩き直さねばみたいに言っていると「駄目な人はほっとけばいいのでは」と返し、「コミュ力のある学生をもっと育てねば」と宮台氏が言うと「コミュ力は教育でつけさせるには馴染まない」と返し、さらに「企業がヘタレを雇わないのは教育の問題ではなく情報資本主義の問題だ」と言う。さらには「もうコミュ力ってそもそもあまりいらないんじゃないか」とも言う。つまるところこの論点では宮台氏と東氏はだいぶ対立していて、かなり議論になっているのである。そしてこの議論は最後まで平行線で終わっていると見える。私自身が宮台氏が批判するようなヘタレである事もあるが、私はこの論点に関しては東氏に共感する。
18 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
遅々として考えず,
By ビン・ラーディン (大阪市内) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 父として考える (生活人新書) (新書)
って、タイトルは勿論シャレなのだが、東氏の発言はそれほど悪くない。むしろ正直さが感じられ好感度大である。痛かったのはいつもの宮台真司のジャーゴンと姿勢である。確か、宮崎哲弥とのM2対談シリーズでは宮崎のコミュニタリアニズムに対して、自らの立場をリベラリズムと規定していた筈だが、本書ではすっかりコミュニタリアン的な「大きな社会」を推奨している。それに、小泉・竹中構造改革を最初から批判していたかのような口ぶりだが、そのころの宮台の著書・発言にはそれ程の批判的な言辞は無かったように記憶している。今度『宮台真司ダイアローグズ(1)』や『宮台真司interviews』で確認してみよう。 それに宮台の相変わらずの自慢話に、恒例の高コミュ能力学級委員長だった小学生時代から、今回は本多勝一流自然派少年だった自慢話まで加わる。なんともイヤミな書き方! 一方、東の方の思い出話は、筑駒→東大文1という超エリートコースにも関わらず、結構自虐的で、多くの読者にも「は〜、なるほどね〜」ってな共感と納得を得やすいモノ。 宮台の文章・発言にどうも胡散臭さや上から目線を感じるのは、この人が自分の個人的な体験をやたらと普遍化して、一般理論として断言口調で語っているという理由を本書を読んで気づいた。 ちなみにタイトルから予想されるような父親論的な話題ははじめの三分の一程度で、内容的にも個人的な子育て体験雑談と言うくらいのモノ。
6 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
ま、共感できる部分もあるので,
By
レビュー対象商品: 父として考える (生活人新書) (新書)
まえがきで東が本書について、「著者ふたりの発言や思考が『父』というプリズムを通すとどうかたちを変えるのか、その変形の様態から宮台氏の活動、東の活動、さらには『ゼロ年代の思想』一般を捉え返す、といったマニアックな読みかたができる」、「たまたま父になってしまった、ふたりの言論人の戸惑いを記録した不定形の書物」と規定し、「著者ふたりの戸惑いを笑って読み飛ばしていただければ幸いだ」(p7)と書いている。これって自分と読者の関係をアイドルとファンみたいに捉えてると感じて、ちょっとカチンと来たのだけれど、改めて考えてみて東は分かっててやってるんじゃないかと思った(「たまたま父になってしまった」なんて件りのブリっ子ぶりは、やっぱり無自覚にアイドルっぽいけど……)。適切な比喩ではないかもしれないが、一種の無理心中というか、抱きつき心中というか……あとがきを読む限り、宮台は気づいてないんじゃないかな。 こうして思想における普遍性や一般性の要求は脱構築され、私小説ならぬ私思想へと凡庸化される。「10年代の思想」はやっぱり「天然だ〜い」の思想なんだ。『ニッポンの思想』における佐々木敦の先見性を改めて思い知ったw
あなたの意見や感想を教えてください: 自分のレビューを作成する
|
最近のカスタマーレビュー |
|
|
|