司馬遼太郎は、『燃えよ剣』を書く時、
「武州三多摩という土地の、マムシ臭い野趣を描きたいと思った。」と述べている。
「マムシ臭い野趣」といえば、まさにこの映画の土方歳三で髣髴とさせられる。
栗塚旭の演じる土方は、頭から足の先まで野獣のような精悍さがみなぎり、青年らしいたくましさと
野心に充ちている。「ばらがき」という言葉がこれほど当てはまるものはない。
しかし、彼には天性の品位があり、それがこの男に独特の哀愁と陰影を与え、人間的な魅力につながっている。
昨今の土方は、品がなく知性を感じさせない、誠に軽軽しいチンピラのように描かれているそうだが、土方はチンピラではない。
残念ながら、新選組を近代的な組織と捉え、節義を貫いた最後の武士としての孤高の生き方や
滅びの美学を描いた司馬の原作の味わいは、土方の悲恋物語を強調する事によって、
矮小化されてしまった恨みはある。しかしそれは、テレビドラマ『燃えよ剣』との比較において生じる、ともいえる。
テレビで栗塚旭が完璧な土方を演じられたのは、完璧な脚本、スタッフ、共演陣に恵まれたからに他ならない。けれどテレビドラマより「野趣」を感じさせるのは、こちらである。
多摩時代の土方は、こちらに限る。