無駄を経験すれば、自分が自分であるために何をするべきか、それが見つかる
ということを、著者の体験をもとに、名言集のような体裁で、無駄が力になる
生き方を解説した本。
確かに、今置かれた環境を、常に自分の人生を変えていく気づきにする、
その前向きで、はつらつとした生き方は、参考になる人もいるであろう。
しかし、著者の言う「無駄」は、どこかおかしい。
「あの頃は、無駄なことをするなと言われたけれど、今振り返ってみると、みんな
役立つことばかりで、無駄じゃなかった」という使い方なら理解できる。
著者は、いたるところで、「本当の無駄」という表現を使う。また、役立つ無駄と
そうでない無駄があることも書かれている。
役に立たないから「無駄」というのであって、役に立つ「無駄」があると言うなら、
それは、もはや、「正しい努力」や「報われる習慣」などを薦めるビジネス本の、
「正しい努力」を「役立つ無駄」に置き換えたにすぎないように感じる。
結局、今やっていることが、他人から見れば無駄でも、本人の考え方ひとつで、
「役立つ無駄」になることを言いたかったようである。
ところで、
「無駄のない生活」からは、絶対に本当の自分は見つからない、
「友達」や「愛する人」を持たない人生こそ、本当の無駄人生
と言い切ってしまう姿に、自分の生き方だけが本当の生き方だと思い込んでいる著者の、
自分とは違う生き方を否定する考え方が、見て取れる。
つまり、著者は、他人から無駄と言われても自分の生き方を貫きながら、いったん自分が
正しいと思えば、今度は著者がその他人となって「無駄」と言っている。
それなら、著者に無駄と言った他人も正しいと思っていたはずで、お互い様である。
結局、上手に「無駄」を積み重ねてきた自信と、自分の生き方が本当の生き方だという
思い込みが強くなると、著者と違う人はなぜ違うのか、それを考え思いやる、
そういう細やかな心遣いとか優しい心は、消え去ってしまうのだろうと思う。
他人から無駄と言われても自分の生き方を貫ける、著者のような強い人ばかりではない。
著者のような有名人に「無駄」と決めつけられて、傷つき落ち込む人もいる。
人に向かって、「無駄」という言葉を使う重みや響きを、著者はもっと理解する努力を
されるべきだと思う。
失敗や挫折、遠回り人生を悩み、落ち込んでいる人を励まそうという心意気はよく分かる。
でも、「本当の無駄」という表現は、著者の考え方を歪めてしまっている。
本当かどうかわからないけれど、今抱えている無駄に見えることを、魂を込めて、
愚直に丁寧に続ければ、必ず、自分にとって大切なことが見えてくる。
それなのに、「本当の無駄」があると言ってしまうと、「無駄」の選別を説くことになり、
魂を込めて、愚直に丁寧に続ける意味が変わってしまう。
「本当の無駄」を続けてしまったら、無駄が力になる生き方はできないことになる。
結局、本当の自分を見つけられるかどうかは、本人の考え方や気持ち、受け止め方にある。
無駄があるかないかにこだわる、その迷っている自分をどのよう考えるか、まず、
そのことを問い直すことで、無駄にこだわらない新しい生き方が見つかるだろうと思う。