p24
「体液が干からび目の部分が黒ずんでウジが蠢いているそれらを避けて、
竹志は右に左に体をかわした。強い日差しに照りつけられ、逝体どもは
揺らめいてみえた。折り重なった逝体の、下敷きになったほうが液化して、
油膜をギラギラと輝かせながら歩道いっぱいに広がっている箇所では、
仕方なくその粘液溜まりに足を踏み入れた。強い刺激臭がマスク越しに
鼻をつく。竹串でも突っ込まれたかのような痛みが鼻腔の奥を走り、
涙が出る。」
多くの人が逝ってしまうお話です。
逝ったあとには醜い「逝体」となってそこらへんにころがっています。
「逝体」の描写はとても気持ちが悪いです。
p78
「死んでも死ななくても、苦しい生を生きなくちゃならないことに変わりはないから。」
「苦しい生」を生きている人々は、傍からみれば醜い「逝体」なのでしょうか?
生きているから腐敗したりしていないだけで、「苦しい生」を生きている現代の日本人は
傍から見れば、「腐乱した逝体」(p21)のようなものなのでしょう。
気がつくと自分も「腐乱した逝体」のような顔をしている時があります。