巧い。巧すぎる。ここまでやると嫌味であるというほどうまい。
これは本当にピアニストなのか? お爺さんが仏文学者の青柳瑞穂であろうが、なかろうが、ちょっと巧すぎやしないか?
母方の祖母を描いた表題作の1篇「無邪気と悪魔は紙一重」では、阿部次郎や安倍能成といった旧制高校教養主義のブランドが祖母の友達として登場する。高田里恵子なら意地悪な冷笑を浮かべるだろう(?)。
その点、コテコテの教養主義の風味もないではないが、センスは全然悪くない。常にギリギリのところでアナクロになっていない(と思う)。
いつになく、本書から男は何かを学べるかなどというクダラナイ考えに耽ってしまった。
評者はまだ読んでいないが、この著者の『水の音楽 オンディーヌとメリザンド』では、<水の精たちを、その誘惑の方法別に四種類に分類>しているらしい。
●網を張る女
●出かけていく女
●ひきずりこむ女
●何もしない女
が、その4種類で、上から順にフーケー『ウンディーネ』(ホフマンがオペラ化)、ベルトラン『夜のガスパール』(ラヴェルのピアノ同名曲中「オンディーヌ」)、ギリシャ神話のセイレーン(ドビュッシーの管弦楽曲『夜想曲』の「シレーヌ」)、ギリシャ神話のゴルゴーン(クセナキスのピアノ曲『エヴリアリ』。この曲は聴いたことなし)が、それぞれ該当する物語と音楽作品となる。なるほどなあ。
本書でもこの4分類が随所に顔を出して、そのオソロシサが実証検分されていく。
太宰、鏡花、谷崎、『マノン・レスコー』、『カルメン』、『サロメ』等は勿論のこと、有吉佐和子、渡辺淳一の初期作品までが登場し、読まなくちゃと思わせるのである。
渡辺淳一の本など手に触れたこともないのが、我が読書人生の貧しい誇りであったのに(大変申し訳ない物言いだが、偏見に塗れているのです。お許しを)、青柳の紹介する渡辺作『阿寒に果つ』は読まないと一生の不覚とさえ思えてくる・・・・。
こういう本を書く著者こそが、“ファム・ファタル”に思えてくるなあ。
この人のCDは逆に怖くて聴けなくなってしまっている。1枚も持ってすらいない。しつこいけど、ピアニストなんだよな。