濱田庄司さんは 本作で 当時の生生しい息づかいや 興奮を伝える
以下の貴重なドキュメントを残してくれている
「(前略)大正十五年春、柳と河井と私とは木喰上人の日記を追って、
写真師も一緒に紀州の旅に出かけました。
あいにく、木喰佛には出会いませんでしたが、
ここも品物の蒐集にはまだほとんど手が入ってないくらいに豊富でした。
私は高野山へ登ったことがなかったので、
柳の案内で河井と三人、雪道を踏んで坂を登りました。
道々話し合った続きを宿の西禅院の一室でむしかえしているうち、
柳は一気に「時充ちて」で始まる「日本民藝美術館設立趣意書」を書きあげました。
酔って炬燵に眠ってしまった河井を起し、私達は記念すべき一夜を、
これから取るべき具体案について語り続けました。
それからは近県や、遠い地方へ、活発な蒐集旅行を次々と計画しました。」
民芸三人衆の紀州への旅は もやもやした洪水のような思考が
“民藝”という思想=眼による革命 へと結晶化するための
たしかな触媒となり得たにちがいない
また 盟友 柳宗悦さんについては
“柳宗悦の「眼」” として 次の言葉で綴っている
市井の人にさえ無心するさまは 相当に痛快でファンキーなエピソードだ
「旅をして、どんな風物の細部でも見逃さなかった柳は、東北の市で老人の着ていたケラや、
山陰のバスで乗合わせた老婆の絣の前掛を懇望して分けて貰った。
雑誌「工藝」の口絵の新鮮さは、毎号皆で待ちかねて眼と心の拠りどころにした。
柳は旧いものも新しいものも、今までになかった角度から切り返して、
特別の新しさで美しさを見せた。柳の見方に決して二番煎じはなかった。
土も糸も木も金も、形の材料を持たずに眼だけで大した工藝を創作した。」
(民芸運動ってめちゃオモロいで! Let's Dig!
藤原ヒロシや マルコム・マクラーレン
ヒップホップなんかが好きな人 超おススメ)