企画の裏にプロデューサーあり。
世間をあっといわせた歴史の裏側では、それを企画・実行へまでこぎつけた立役者がいるものです。
本書では、戦後日本で、そんな
「面白いこと」 「他人がやらないこと」 「誰もやったことがないこと」を
次々と成し遂げた一人の男を紹介してくれます。
小谷 正一(1912〜92)
名前を聞いた事がありませんでしたが、交流のあった人々には、電通の吉田秀雄をはじめ著名人が多いです。
それもそのはず、企画の際にはプロデューサーに徹しており、その役目を終えると、次の難問へと引っ張られてしまうという繰り返しでした。
一般の人々には知られていなくても、その業界では伝説として語り継がれている。
そんな小谷の活躍を一部抜粋します。
・戦後混乱期に、夕刊紙「新大阪」創刊 (新しい新聞のあり方を提示)
・プロ野球チーム「毎日オリオンズ」設立 (パ・リーグ構想で、2リーグ制へ移行)
・ラジオ民間放送第1号局(新日本放送)を開局 (NHKの一局体制の終結、スポンサーによる無料放送のはじまり) etc.
その他にも、井上靖の芥川賞受賞作『闘牛』のモデルになったり、海外から一流の音楽家を招聘したりと、エピソードには事欠きません。
興味深いところは、自分からはじめた「面白いこと」は、失敗したりもしています。
(それを糧として、次には挽回もしますが)
しかし他所から、半ば押しつけられたような大きな事業には、しっかりと成果を残しています。
その秘訣はどこにあるのか。
大きな企画には、大きな金、そして人が動きます。
それを任せる側の器の大きさもありますが、何より小谷には、心強い仲間が数多くいたことが挙げられるでしょう。
別の会社に移ったときにも、行動を共にしてくれる仲間の存在は大きな支えになります。
人を使い、上手く動かすことが出来る。
それこそが、名物プロデューサーの成せるワザなのでしょう。