我々は、「共同体」という言葉に、
何かを共有していたり、一緒に何かを作り出すもの
といったイメージ持っていると思います。
しかしナンシーはそのような「共同体」には
殆ど価値が無いと言います。
それは「共同体」といったものが
主体の「営為」によって作り出されたものだからです。
それに対して、ナンシーの言う共同体は
主体の無い「無為」の状態によって
「経験」され「分有」されるものです。
この著書では、バタイユの内的体験を手掛かりに
議論が進められていきます。
そして、バタイユの経験が一見個別的なものに見えても
その自らの有限性によって
共同体の経験をしていることを明らかにします。
意識的、無意識的、あるいは歴史的に引かれた線から内側が
「共同体」だと思っているのが
現在の我々のあり方だと思いますが、
そのような「共同体」を抜け出て、
共同体へ進む可能性を示唆しているように感じました。
難解な書物ですが、
西谷修氏の解説が大変分かりやすく理解を助けてくれますので
そこから読むのも一つの手かもしれません。