アメリカで起こった冤罪事件を克明に描いたノンフィクション。上下2巻。
上巻のレビューでは,本書の周辺事情について書いたので,ここでは本書の内容に触れる。
日本でも冤罪事件を扱ったノンフィクションはいくつも出ていて,それなりに読ませるものもあるが,本書と比べるとどうしても霞んでしまう。これは,「ベストセラー作家の筆力」という説明だけで片の付く問題ではない。むしろ,権力批判を旨とするジャーナリストの力量の問題だ。
本書では,「登場人物」のほとんどすべてが実名で書かれている。例外的に仮名で書かれているのは,殺された被害者の女性のみである。この実名表記が,本書に圧倒的なリアリティを与えている。グリシャムは,事件にかかわった警察官,検察官,弁護人,裁判官を実名をあげて容赦なく批判する。
本来,実名報道というのは社会的制裁の手段ではなくて,報道の真実性を担保するためのものである。書く方としても,実名をあげる以上デタラメは書けない。実名で書かれた者は,内容に文句があれば反論すれば良いのである。
これに比べると,日本の報道姿勢はお寒い限り。匿名報道が原則なのかと思うほどだ。信じがたいのは,違法・不当な捜査・起訴をした警察官や検察官の実名すら,十分に明らかにされないことだ。誰が行ったのかが特定されない以上,何が行われたのかは明らかとならない。言うまでもなく,このような場合に実名報道を禁じる法律や憲法の条文は,日本には存在しない。個人の病歴や異性(や同性)との性関係ならいざ知らず,「公務」に関する振る舞いを氏名とともに掲載したからといって,プライバシーの侵害になるわけがない。
また,本書は,冤罪を生み出す司法制度の欠陥を,かなり的確に捉えている。捜査機関には犯人確保のため,人権を制約する捜査が認められている。裁判では正確を期すため,裁判官・検察官・弁護人それぞれに役割が与えられ,公正な裁判の実現が目指される。したがって冤罪事件においては,捜査機関は与えられた権力を濫用していないか,裁判では各専門家が自分の役割を果たしているかが,問題となる。本書においてグリシャムは,上記のすべてにまんべんなく目を光らせている。
これに対して日本の冤罪記事は,捜査の違法・不当にウエイトを置きすぎる傾向がある。検察官や弁護人や裁判官の行いを批判する能力がないのである。
冤罪事件がもたらす不利益や,その責任の所在については,「あとがき」(下巻pp.293-)において,グリシャム本人が簡潔にまとめている。ここを読むだけでも,日本のマスコミが陥りがちな「警察官 vs. 冤罪被害者」という構図が,いかに短絡的で断片的で感情的なものなのかが分かる筈である。
本書を読んで,私の中での「冤罪ノンフィクション」の評価基準が明確に定まった。いわば「お手本」である。果たして日本のジャーナリストで,本書に匹敵する作品を書ける人がいるだろうか。私の観測は,悲観的である。