フィーにーはビジネスの才覚に溢れているし、ユニークなお金の哲学には唸らされる。
読者がフィーニーの風変わりな生きかたにカリスマ性を感じるのは間違いないだろうが、
その勢いで「フィーニーのように大金持ちは社会に寄付せよ」とか「日本のお金持ちはスケールが小さい」と批判してもあまり意味はない。
まず、フィーニーのお金の使い方は、彼の特異な性格が生んだものだし、そこに至る過程について本書にはっきりした説明はない。おそらく言葉にはできない。
寄付文化は日本と欧米では大きく異なり、大金持ちの数も全く違うし、税率も寄付控除のルールも違う。
日本では希少な大金持ちに寄付を強いても仕方ないし、年収1億なら1億なりの、500万なら500万なりのお金の使い方があるはずだ。
大金持ちに全ての責任を負わせる、無責任な議論は避けなければならない。
本書に繰り返し登場するように、フィーニーがDFSで成功したのは、バブル期の日本人がブランド品を買い漁り、そのトレンドを彼が上手くつかまえたからである。
当時、お金持ちではない「普通の日本人」が高級ブランド目当てにDFSに押し寄せた。
日本のバブルがはじけると、フィーニーは好機を逃さず会社を売却し、成功に最も貢献した日本に対して、売却益を寄付することはなかった。
つまり彼はバブルに浮かれる日本人のお金を集めて、母校やアイルランドに寄付したということだ。
いま「大金持ちはもっと寄付せよ」「金持ちや大企業から税金をもっと取れ」と、日本で叫んでいるのは、かつてバブル期にDFSでブランド品を買い漁った「普通の日本人」である。
お金の稼ぎかたは運と才覚、お金の使いかたは性格と品格だ。
フィーニーの生きかたに惹かれつつも、バブル期にお金の使い方を見失った私たちが彼を生んだのだと考えると複雑な気分になるし、彼によって日本のバブルも一部は救われた気がする。