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この本を読めば、禅というもの一つとっても仏教をとらえることの困難さを思い知らされる。インド仏教、中国仏教、そして日本仏教という伝播の流れの中で、発展もあれば変容もあり、また土着化もしている。そんな中で、禅はいつどのように成立し、どれが禅でありどれが禅ではないのか。
この本の主題にしたがえば、禅はいつどのようにして「中国禅」となり、それはどんな仏教なのか。それはインド思想なのか、それとも中国思想なのか。
日本では明治時代になり、西欧思想が流入してきた。その際、西欧経由のインド仏教も入ってきた。これは日本仏教にとって、アイデンティティを問われるものであった。なぜなら、日本仏教はインド、中国での長い仏教発展史の最終到達点の一つを示すものであったが、実は直接にはインド仏教を知らない仏教であったからだ。仏教学者たちはインド哲学としての仏教研究に没頭していく。
そんな中、西田幾多郎と鈴木大拙は、日本禅に仏教の、いや東洋思想の核を見い出す。無の哲学である。
実は、禅に「無」は多くは語られてはいない。これは私にとっても衝撃的なことだ。知らぬが仏!
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