若い頃、司馬遼太郎の「峠」を貪るように読んだ。司馬遼太郎が武士の中の武士と賞賛する河井継之助にただあこがれるばかりだった。ただ一点心に引っかかったのが、クライマックスの北越戦争に突入せざるを得なくなった小千谷会談決裂。英邁な河井継之助が知恵の限りを尽くし武装中立を宣言して、長岡藩を官軍、幕軍双方から距離をおいた。しかし官軍の居丈高な降伏勧告に屈することができず、ついに官軍と戦端を開き長岡藩は焦土と化し、藩士はもちろん民百姓までを生き地獄の中に投じてしまった。なぜ負ける戦に踏み込んだのか。膝を屈するべきではなかったのか。若い自分には答えが見つからなかった。この本を読んで豪放磊落、傲岸不遜な河井継之助が生涯唯ひとり師と仰いだ山田方谷も、備中松山藩を背負って同じ立場に立ったことを知った。徳川幕府最後の老中板倉勝静を藩主としていただく松山藩は賊軍として逃れようもない、ぎりぎりの交渉の末無血開城、血を流すことなく松山藩を存続させて明治維新を迎える。師山田方谷と弟子河井継之助の違いがここに現れている。
若い頃河井継之助にあこがれつつも心に残った微かな疑問が30年後この本を読むに至ってようやく解けた。朱子学、陽明学を究め、「知行合一」の実学として用いた山田方谷の生き様を知ることで、「学ぶ」とはなにか「致良知」とはなにかあらためて確認できた。平成の世を導く立場の方々にも是非読んでいただきたい一冊だ。