出版社/著者からの内容紹介
昭和の名参謀として生き抜いた瀬島氏は、“昭和の生きた教科書”である!
戦中は大本営の作戦参謀を務め、シベリア抑留11年、帰還後に伊藤忠の企業参謀、さらには中曽根行革で政治参謀として活躍してきた“昭和の名参謀”瀬島龍三氏。その歩みは、まさに昭和史そのもの。「本分」を重んじる気骨の人が、激動の昭和史の渦中で何を見、何を感じ、何を考え、何を決断してきたのか?瀬島氏の回顧録としては、小社刊のベストセラー『幾山河』があるが、あまりに要にして簡で難しい内容である。今回は、若い視聴者からの反響も大きかったフジテレビ系『新・平成日本のよふけ』で9回にわたって語った内容を中心に追加取材も加えた内容となっており、書き言葉では伝わりにくい人間的な雰囲気も伝わってくる。乱気流の現在だからこそ、聞いておきたい昭和史の現場からの証言。それはそのまま日本という国や日本人を考えるきっかけにもなるはずだ。
戦中は大本営の作戦参謀を務め、シベリア抑留11年、帰還後に伊藤忠の企業参謀、さらには中曽根行革で政治参謀として活躍してきた“昭和の名参謀”瀬島龍三氏。その歩みは、まさに昭和史そのもの。「本分」を重んじる気骨の人が、激動の昭和史の渦中で何を見、何を感じ、何を考え、何を決断してきたのか?瀬島氏の回顧録としては、小社刊のベストセラー『幾山河』があるが、あまりに要にして簡で難しい内容である。今回は、若い視聴者からの反響も大きかったフジテレビ系『新・平成日本のよふけ』で9回にわたって語った内容を中心に追加取材も加えた内容となっており、書き言葉では伝わりにくい人間的な雰囲気も伝わってくる。乱気流の現在だからこそ、聞いておきたい昭和史の現場からの証言。それはそのまま日本という国や日本人を考えるきっかけにもなるはずだ。
内容(「BOOK」データベースより)
教科書や歴史本でしか知りえない昭和史の大きなうねり。その現場では、さまざまな人々の苦悩があり、知られざるドラマがあった。そうした激動の昭和史がいま、中枢を歩んできた瀬島龍三本人の言葉を通して、情感豊かにいきいきと蘇る!大本営作戦参謀、シベリア抑留、伊藤忠の企業参謀、そして行革の政治参謀―激動の時代を生き抜いた気骨の人。語り下ろしで綴る波乱万丈の91年。
内容(「MARC」データベースより)
大本営作戦参謀、シベリア抑留、伊藤忠の企業参謀、そして行革の政治参謀-。激動の時代の中枢を歩んできた瀬島竜三本人の言葉を通して、昭和史の大きなうねりが情感豊かにいきいきと蘇る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
瀬島 龍三
1911年12月19日富山県小矢部市生まれ。’32年に陸軍士官学校、’38年に陸軍大学を首席で卒業。’39年、大本営参謀部員となり、その後関東軍参謀に転じる。’45年敗戦後、満州でソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留される。11年後の’56年に帰国。’58年伊藤忠商事に入社。航空機部次長、同部長、機械第3部長を経て、’61年経営戦略本部ともいうべき業務本部長に起用され、総合商社への脱皮を図る伊藤忠の近代化に手腕を発揮した。’62年取締役、’63年常務、’68年専務、’72年副社長、’77年副会長を経て、’78年会長となる。’81年に中曾根康弘から臨時行政調査会委員の就任要請を受け、3月第2次臨調委員となり、伊藤忠は相談役に。’87年特別顧問。2000年退任。現在も80以上の肩書きを持つ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1911年12月19日富山県小矢部市生まれ。’32年に陸軍士官学校、’38年に陸軍大学を首席で卒業。’39年、大本営参謀部員となり、その後関東軍参謀に転じる。’45年敗戦後、満州でソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留される。11年後の’56年に帰国。’58年伊藤忠商事に入社。航空機部次長、同部長、機械第3部長を経て、’61年経営戦略本部ともいうべき業務本部長に起用され、総合商社への脱皮を図る伊藤忠の近代化に手腕を発揮した。’62年取締役、’63年常務、’68年専務、’72年副社長、’77年副会長を経て、’78年会長となる。’81年に中曾根康弘から臨時行政調査会委員の就任要請を受け、3月第2次臨調委員となり、伊藤忠は相談役に。’87年特別顧問。2000年退任。現在も80以上の肩書きを持つ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)