三島由紀夫は本当に書きたい小説と商売用の一般小説を分けていたという。三島小説は結構読んだが、果たしてどっちがどっちか分からない。全ての小説が屈託深くて難しいと感じる。『音楽』なんかは一般向け小説なのだろうか。あれだって難しいように思うが。三島文学に関しては分かる人には分かるのだろうということは分かる。ロシアで『金閣寺』を読んだ囚人が監獄で切腹を図ったという。こういう人は分かり過ぎてしまった読者なのかもしれない。三島のロシア語翻訳者のグリゴーリイ・チハルチシビリ(ボリス・アクニンという小説家でもある)が、「三島由紀夫は『国民的作家』では決してない」と言っていたが、まさにまさに。
『潮騒』は万人が楽しめる唯一の三島小説。万人に受け過ぎて作者を索漠たる気持ちにさせたらしく、後年三島は「冗談で書いた小説」と言ったというが、この言葉は韜晦だろう。「『知的で病的』なんてオレは絶対イヤだからな!」という当時における作者の真剣な叫びが聞こえるような、とても健全で美しい小説だ。特にヒーローが素敵。三島由紀夫は知的じゃない体育会系青年を描くのが本当に上手い。ヒーローに注がれる作者の愛溢れる視線がなんともかんとも。
ちなみに、この小説を指して「三島は『田舎』を分かっていない」という出版当時の批評の言葉をどこかで読んだが、別にいいじゃないの、と思う。これは「地方」にまつわるファンタジーであり、「海と太陽」にまつわるファンタジーでもある。「田舎」ったら常に『土』とか『楢山節考』してなきゃならないという訳でもなかろうし。
昔のフィギュアスケートは技術点と芸術点に分かれていたが、この小説を読むと、その両方のカテゴリーで次々と満点が並んでゆく様子を唖然と眺めるような気分になる。後はもうスタンディングオーベーションでもするしかないような。