もちろん著者は、生の漱石を知らない。だから、漱石についての記述は、親戚や弟子からの又聞きである(P.9)。しかし、それらも、価値の高い「未公開資料」として扱って良いだろう。例えば、松岡譲が鏡子に勧められて真珠ビジネスを始めて失敗したことなど、初めて知った(P.59)。「母の口からは一度も聞いたことがなかった」というだけあって、確かに鏡子の『思い出』では全く触れられていない。
一方、鏡子や筆子については直に接しているため、夏目家の生き証人である。これも、記録としては貴重である。鏡子は、漱石の潤沢な印税にものを言わせて、1918年に早稲田の借家を買いとり、二年かけて建てかえた(P.114-115)。当時の大卒の月収が200円だった時代に、寝ているだけで印税で毎月2000円が約束されていたらしい(P.51)。そして、冬は湯河原、春は京都、夏は日光中禅寺湖で遊興して、豪勢な生活を送っていた(P.129)。しかし、漱石の死後30年を数えて1946年に版権が切れると、先立つものを失って(P.131)、早稲田から新大久保、そして上池上と三遷した(P.131, 136)。もちろん、こういうことも、鏡子の『思い出』には書いていない。
孫として著者は、漱石と鏡子について、次のように総括する。
<あらゆる意味から見て、妻は夫に従属すべきものだ>という旧式な考えを自覚していた漱石は、「形式的な昔風の倫理観に囚われ」ず<自己の存在を主張しようとする>近代性をもった祖母を、時には憎みながらも、皮肉にも尊敬し、そして愛していたというのが私の見方である」(P.153)。
その通り。とてもよく肯ける。
また、夏目家の写真も、貴重である。
・P.94-95:漱石十七回忌(1932年)
・P.157:1951年頃の松岡陽子と鏡子
・P.173:1934年頃の松岡一家(長女・石川明子、長男・聖一、弟・新児)
・P.195:1940年頃、明子、妹・末利子、筆子