「義務教育九ヵ年だけ受けて社会に出た私には、漱石という文豪は、教師というより総合大学であった。私は漱石大学で、さまざまを学んだのである」(P.3)、と学歴を披露する。
確かに、二五〇〇通を超える漱石の書簡を、宛名別に分けて味わってゆく、ただそれだけの講座である。深遠な漱石の思想とか、明治時代の文化的背景とか、そういう何かを読み込もうとしているわけではない。言ってみれば、ただの感想文である。
しかし、それだけに、著者の傾倒ぶりが手に取るようにわかる。それでいて、あまりべたべたせず嫌らしくない。小宮豊隆が「漱石神社の神主」なら、著者は「漱石大学の卒業生」ということになるだろう。
偶然であるが、下記の資料が載せられていた。特に、鏡子の書簡には、びっくりした。必見である。
・ロンドン留学中に神経衰弱に罹った漱石は、「頻りに御前が恋しい」と綴って鏡子に泣きついた(明治三十四年二月二十日・218)。これに対して鏡子が、「あなたの事を思ひゞつけている事はまげないつもりです」と寄り添った、四月十二日付の返信が掲載されていた(P.44)。これは、悪妻鏡子のイメージを一度で吹き飛ばしてくれるかもしれない資料である。これだけでも、この本を読んだ価値はある。また、この書簡が現存しているということは、漱石が、帰国の際にも、官舎、千駄木、西片、早稲田と引っ越す際にも、捨てずに取っておいたということである。何だかとてもいい話だ。
・留学先のロンドンから、「熊本にて筆と御写し被成候写真一枚序の節御送り可被下候」、と鏡子に写真をねだっている(明治三十四年一月二十二日・214)。これに対して鏡子が送った写真が掲載されている(P.47)。鏡子と筆子の二人で写っている写真であるが、初めて見た。