この本にはマンガ研究家なる中野晴行の解説が巻末に付されている。そこで彼は手塚の有名な逸話について疑問を呈している。その逸話とは、本作品中の手塚の描写が元で福井英一が激怒し、馬場のぼるを立会いに手塚を激しく弾劾、手塚が福井に謝罪したというものである。その時の胸の内を後に手塚は自身の著作「ぼくは漫画家」で詳しく記している。それを中野は何故か必死で否定、矮小化しようとしているのだ。だが、この逸話が紛れも無い事実であり、後の手塚による述懐もおよそ真実であったことは、当事者の一人である馬場のぼるの証言からも確認できる(COMICBOX 61号 89年5月1日発行)。
しかし解せないのは、当の手塚自らがこの事を著しているのに、なぜ中野はこれ程までにややこしく考えて手塚の心情を否定、矮小化しようと思ったのか。手塚の作品に感銘を受け、多少なりともその人となりを想像できれば素直に納得できる話だと思うのだが。マンガに於ける手塚の世俗的執着は尋常ならざるものがあり、それは時としてライバルに対する歪んだ表現や態度となって現れた。中野の言は誤りで、石ノ森とのトラブルは同様の問題であり、手塚がそれを自覚して苦悩していた事を示しているのだ。
手塚はマンガの神様と言われながら、崇め奉られることで世俗から忘れ去られる事を何より恐れていた。その中で最後まで苦闘し続けるのである。だが逆に、それ故にこそ手塚の作品は、人間の苦悩を救済する神聖な芸術にまで成り得たのだと私は思っている。もしこの書を手に取る人があったら、その事実を踏まえた上で問題の97〜101ページを、素直な心で読んで貰いたい。自らの業に懊悩しながらも、最終的にそれをマンガ表現として昇華する事で救済される、そんな手塚の魂に、マンガという表現を通して誰もが容易に触れる事が出来る。そしてそこに感動を覚える人もいるはずである。手塚の本当の偉大さはそういう所にこそあるのだと私は思う。