『
夜露死苦現代詩 (ちくま文庫)』で今を生きる日本語を、『
天国は水割りの味がする~東京スナック魅酒乱~』で、日本最大の社交場であるスナックをレポートしてきた都築響一が、次にインディーズ演歌に向かうのは、もはや既定路線と言ってもいいくらい自然なことだし、前作同様、音楽評論家が決して取り上げないであろうインディーズ演歌歌手の見事な生き様が活写されている。
演歌歌手の名前を10人言える若者は日本にもういないかもしれない。ならば演歌業界は小さな世界なのかと言えば、知らないだけだ。日本中のスナックで、お祭りで、健康ランドや老人ホームで、今日も演歌が聞こえてくる。多くの中高年の心をとらえている。
やっぱりインディーズ演歌歌手は売れない。CDを自作し、衣装も用意し、自分で出演交渉して自分で運転して機材を運び、毎日何件もスナックをまわり、酔っぱらいの相手をしながら一枚ずつCDを手売りしていく。その苦労の道を自ら選び、何十年も続けている人がいる。ただ歌うことの悦びと、お客さんの喝采のために。
彼らの歌は、大きな事務所が多額の宣伝費をかけて大手メディアで流通させる音楽とは、全く違う強度を持っている。歌が上手いとか美人だとか、そんな尺度から遠く離れて、何十年ストリートで生きてきた本当の言葉と、本当の人生がある。
著者が探し当てたのは、多くの苦労の果てにふっと歌がうまれる、まさにそんな場所に他ならない。
「寒風吹きすさぶ中、コンクリートの地面から上がってくる寒さに足踏みで耐えつつ、駅前の雑踏に飲み込まれそうになりながら、小さなアンプを通したひずんだ声に聴き入っていると、音楽のもっと根本にあるカタマリのようなものが、チラリと見える瞬間がある。こころの奥のどこかをサッと引っかかれる瞬間がある。」