川上音二郎(新演劇の創始者)を中心とする近代演劇史の一面、でありながら、日本の「近代」とは何なのかを、「われわれ」の「身体」の変容という視点から考える本である。文芸・パフォーマンスの政治的威力を解読してお見事な著者の力量が、存分に発揮されていて楽しめる。ただし、さすがに近代演劇の知識がある程度はないと、全体を読み通すのはちょっと大変かもしれない。
新派劇が「国民」大衆に人気の娯楽としての地位を獲得した明治30年代は、同時に、それまでの農漁村民とは異質な近代的な身体感覚やリズム感を身につけた「日本人」が確立した時期であった。これは偶然ではない。近代日本の「国民精神」は、軍隊や学校(たとえば、唱歌のリズム)での訓練・教育を通してつくりあげられた身体に宿り、新派劇のセリフやしぐさの「型」によって表現され熱狂的に享受されることで、安定的な合意をとりつけていたのである。
テーマ的には、三浦雅士の『身体の零度』の演劇版といった趣向であるといえよう。ただし、三浦の「零度の身体」という発想は、評価されながらも、歴史の実態に即した一定の修正が加えられている。また、著者の『<声>の国民国家・日本』の続編にもなっていて、これとあわせて読めば、近代日本の「声と身体」をとりまく芸能の実像と政治が、よく把握できるることは、間違いない。