第一話は、行楽の帰りに、カップルを跳ね、今は遺産で優雅に暮らす家族に、2人の子供の家庭教師として雇われた大学生が体験する恐怖を描く。
土砂降りの中、家政婦が地下室で重なり合う二人の子供の白い体を目撃する様子、問い詰める家政婦に対する姉の淡々とした発言は、ぼんやりと浮かび上がる幽霊を彷彿とさせ、昔の白黒の怪奇映画の情景を彷彿とさせる。
その後、その家政婦が遺体としてユニットバスの中で沈んで発見される様子もフランス映画『悪魔のような女』を連想させる。
結果的に主人公の家庭教師の子にとっては不思議な冒険譚として済むところも昔の映画のお約束と安心を読者に与える。
一方で、第二話は一話目とはまた別の「ホラー映画」のお約束を守っているといえる。現代にドラキュラを復活させるプロットを作り出した点が巧みである。離れ島で夜になると忍び寄る足音などは本当に正統派怪奇ホラーの趣きである。父と娘で食い違う話の内容も、一体真相はどちらなのかと、読者をひきつける。正体が分かり、主人公の安堵を尻目に交わされる娘と父の会話の内容もひねりが利いている。娘が怪我した指をなめる描写はとても官能的だ。
第三話は、シンバルにまつわる因縁を描いた怪奇譚だが、作者の意図として、「人は元来いじわるで冷徹な生き物だが、あんまり度が過ぎるときっちり落とし前が来る」という因果応報が貫かれている気がする。
個人的には復讐を果たしたシンバルの少年に同情したが、反応は読者によって様々だろう。
第4話は上京して都会生活を満喫する女子大生が、成り上がりの金持ち社長の愛人といる所を、お堅い彼氏に見つかり、“妹のマリ”を演じ始め、追い詰められた末の顛末を描き出す。結局、社長は会社が倒産してヒモになり、そんな社長を追い出した彼との結婚を決め、“マリ”も葬ったはずなのだが、列車にそっくりな女が現れた時に彼は・・・。
第五話は表題作だが、構成が巧みだ。病室に閉じ込められているはずの少女が実は誰よりもこの世界を自由に歩き回り、そして操る力を持っているという事実は、通常、私達が立っている地面が揺らぐような感覚を覚える。それと同時にどこまでも地平線が続く風景のような広がりを文章で持たせている。
やっと、全て終わったかに思えたが実はまだ主人公は彼女のおもちゃに過ぎないのではないか、という不安定さを遺すラストも秀逸である。
筆者は、現代の日本人社会の冷めた感覚や風俗を捉えつつも、誰にでもやましいことがある事実を否定しない。
そこからあまりにも逸脱しない限り、無事に過ごしていけていると言う点で理不尽なホラーではなく、原因があって結果がある日常の出来事を描いた作品だともいえる。
赤川次郎ということを意識せずにレビューを書いたが、人間を捉える視点やプロットなど面白い点は間違いない。