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「溝鼠」は変に過剰である。そこまで書くのは変だろうと普通なら考えそうなところまで新堂冬樹は突き進んでいく。いや、内容が残酷すぎるとか変態的すぎると言っているのではない。残酷な小説なら他にいくらでもあるし、変態的な小説もいくらでもあろう。関心が微妙に違うのだ。新堂冬樹はことさらに「変な」部分を拡大してみせる。後半、二人のいい大人がトイレに駆け込む優先順位を巡って争うシーン(状況は結構切迫している)があるのだが、普通の作家だったら、まあ、あんな理由での争いは書かないだろう。
なんでもそうであろうが、過剰は崇高さに近い場合もあるし滑稽に近い場合もある。「溝鼠」はどう考えても後者である。新堂冬樹がそこを狙っているのかどうかはわからない。ただ、滑稽なくらい過剰な「溝鼠」は、確かに典型である。
新堂冬樹をバルザックにたとえたら褒めすぎだろうが、「溝鼠」はバルザックの「ゴリオ爺さん」をさえ連想させるほど、ある典型を描いていると言えるだろう。
しかし、これだけ人間の本性に迫った作品を表現する言葉としてはなお不足だと感じる。私にも適切な言葉は見出せない。
ただ言えるのは、作者の虚飾を捨てたある意味での自己表現のすごさ、更に言えばある種の「誠実さ」を強く感じる。
だれしもここに描かれた人の性(さが)を真正面から見つめることに躊躇を覚えるに違いない。しかし、それは私たち自身が少なからず自らの中に持っている性そのものである。それが多いか少ないか、あるいは強いか弱いか、正直にそれを自ら直視できるかできないかの違いに過ぎない。
読むことに勇気を有する作品である。
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